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「日本維新の会」という名称は、何を目指しているのか明確に伝わりづらい。政策の中心に据えて真剣に取り組むべき重要な問題とはなにか。
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日本維新の会の吉村洋文代表

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「維新」とは、「すべて改まり新しくなること」という意味である。高市早苗新政権と連立を組む「日本維新の会」(吉村洋文代表)は、「日本国のすべてを改めて新しくする」(会設立者の橋本徹氏)という心意気から「日本維新の会」という政党名を掲げたのであろう。

何を目指すのか

しかし、国民の間では、「維新」とは「明治維新」の「維新」という認識でしかないと、私には感じられる。維新の会が「政治改革・刷新を!」と主張しても、いったい何を、どこを目指して刷新しようとしているのかが、いまひとつ国民に明確に伝わっていないのではないか。

「日本国のすべてを改めて新しくする」―。その志は美しく響くが、一般国民には「維新の会」が何を目指しているのかわかりづらい。しかも、自民党と連立を組むという状態になった。一般国民(有権者の多く)に党の目指す道が見えない状態であると、「維新の会」はいずれ、なし崩し的に自民党に吸収されてしまうと思う。

それを避ける道はあるのかー。多くの日本人がもやもやと感じている、ある重要な問題を「維新の会」が政策の中心に据えて真剣に取り組むのであれば、そのチャンスは十分にあると思う。その重要な問題とは何か。結論を急ぐ前に、まずは現代の日本がどのように形成されたのか振り返ってみたい。

中央集権の弊害

そもそも、明治の維新が「明治維新」と称されるのは、日本の政治体制が江戸の「幕藩体制」から、「中央集権体制」に変わったこと、即ち「日本国のすべてが改められて新しくなった」ことによる。

江戸時代の日本は、幕府や藩がそれぞれの支配地で「司法」「立法」「行政」の三権を持つという、300以上の国の集合体である「幕藩体制」であった。それに対して、明治期に日本全体に適応される大日本帝国憲法のもとで、「司法」「立法」「行政」の三権を、東京の日本国政府が持つという「中央集権体制」になったのである。

現在の日本でも、戦後に憲法が書き換えられたものの、明治期に採用された「中央集権体制」は変わっていない。

これに対して、橋本氏の唱えた「大阪都構想」は、「国の定めた分布図によって大阪府と大阪市の二重行政になっている弊害を排除したい」という「地方分権」の思想から発せられていると、私には感じられる。

地方自立の利点

巨大地震がいつどこで発生してもおかしくない状況にある日本が生き残るためには、東京への一極集中と中央集権を是正することも必要ではないか。

実際、現在の日本は、明治期からの中央集権体制では、各地方の、それぞれの違う要望に対応しきれなくなっている。簡単に言えば、人口が集中する都市部と、過疎に悩む地方で、同じ法律で対処するのは無理なのである。

勿論、それぞれの市町村には首長がいて議会もあるが、市町村議会で制定できるのは、国会で決められた法律の下位法である条例に過ぎない。このために、すべて市町村は、東京の行政府に陳情を繰り返す結果になり、市町村で自立することはできない仕組みになっている。

警察や消防、教育、医療、ごみ処理など、その地方に住む人たちの目線が必要なのに、中央から派遣された人が権限を持つ。地方への愛が薄い彼らは当然、中央を向いて自分のために仕事をする。地方の利益は再優先にはされないのだ。

しかし、地方が元気になり、各地方同士が切磋琢磨してよくなれば、人や金の流れを逆転させ、結果、日本を強くすることになる。地方をよりよくしていくためには、国民自身が自分たちの地方の自治にもっと関心をよせて選挙に臨み、適切な首長を選んでいくとともに、名目だけの地方自治ではなく、自発的な地方自治ができるように変えていくべきであると思う。

明治時代の鹿鳴館での舞踏会のようすを描いた錦絵「貴顕舞踏の略図」(楊洲周延画) (Wikimedia Commons)

現在の日本では、国民の最低限の生活は保障されている。その先の一人一人の国民の困りごとを解決して元気にしてゆくためには、その国民の身近にある地方自治体が責任と権限をもって解決にあたる必要があると思う。

「地方分権党」に改名を

現代日本では、各地方における最適な行政を中央政権で執行するのは無理な状態になっているので、地方分権に舵を切るべき時が来ている、と私は考える。アメリカ合衆国は、州単位で立法・行政・司法が行われている。だから、合衆国なのである。また、ドイツなどは、州がかなりの権限を有する連邦制をとっている。

日本に適するのが合衆国制か連邦制かは、政治の素人の私には決めかねるものの、いずれにせよ、日本も地方分権に進むべき時が来ていると思う。

大阪でスタートした「維新の会」が中央集権体制に入ることで力を発揮し、その存在意義を示すとすれば、日本の地方分権を進めることではないか。

「維新の会」は早急に党名を「地方分権党」に変えるべきであると、私は思う。

著者:長谷川七重(作家)

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