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第1次南極観測隊が東京を出航してから来年で70年。第67次越冬隊の国立極地研究所准教授、江尻省さんは、その節目を南極・昭和基地で女性初の越冬隊長として迎える。研究者になったきっかけや極寒の地で1年以上続く仕事に臨む心境などを語った。
Groundbreakers Mitsumu Ejiri

南極観測隊初の女性越冬隊長となる江尻省さん

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第1次南極観測隊が東京・晴海を出航してから来年11月で70年。第67次越冬隊の国立極地研究所准教授、江尻省(みつむ)さん(52)は、その節目を南極・昭和基地で女性初の越冬隊長として迎える。日本の南極観測隊は地球温暖化の謎の解明に迫る観測を複数手掛けており注目を集めている。出発を控えた江尻越冬隊長が産経新聞のインタビューに応じ、研究者になったきっかけや極寒の地で1年以上続く仕事に臨む心境などを約2時間語った。

地球温暖化のメカニズム解明に意欲をみせる江尻省さん=東京都立川市の国立極地研究所 (芹沢伸生撮影)

高度100キロでの観測

私はオーロラと同じような高さで光る「大気光」の観測や、レーザーを使った観測装置で上空の密度や温度を測ったりしています。地球大気の上限、高度100キロ前後は宇宙空間の始まり。そこでは地球の「中性大気」と、宇宙空間にある「電離大気」が混ざり合っています。この2つがどのようにエネルギー交換などを行い、そこで何が起きているのか解明しようとしています。

でも、高度約100キロの観測は非常に困難。中性大気はすごく薄く電離大気も少ない状態です。国際宇宙ステーション(ISS)がある高度400キロほどだと、電子密度が濃くレーダー観測ができますし、人間も滞在できます。高度100キロというのは微妙な領域で、人間は滞在できず使える装置も限られます。

本が苦手だった

小学6年の夏まで大阪の島本町に住んでいました。当時は外遊びが大好きな〝帰宅拒否児〟でした。門限も守らなくて(笑)。自然の中で虫を取ったり、稲刈り後の田んぼでたこ揚げをしたり…。近所に友だちがたくさんいて、いつも誰かと一緒でした。

その頃は本が苦手でした。でも、図書館にあった「なぜだろうなぜかしら」という、漫画やイラストをふんだんに使って、理科の疑問に答える本はよく読みました。子供のさまざまな質問に、大人が答えられることは多くありません。「そうだったのか!」という、疑問が晴れたときの満足感をこの本に教わりました。それが研究者につながったのかもしれません。

高校や大学進学で考えたのは「学ぶなら好きなことをやりたい」ということ。中学のときは理科と数学、高校では物理が好きだったので、大学は理学部物理学科に進みました。大学で学ぶ中で「自然に近い物理をやりたい」との思いが強くなりました。理論をガリガリやるより、実際に観測してデータを取って考える-という方向に行きたかったんです。

研究室の先生に相談し、紹介されたのが名古屋大学の太陽地球環境研究所(当時)でした。そこで出合ったのが大気光。大気光を観測すると、肉眼では確認できない大気重力波が見えてきます。大気重力波は大気の振動現象で大気大循環にも大きく影響しています。

観測からは、大気を循環させる巨大なエネルギーがどう流れているのか、季節でどう変わるのかなどが分かります。目で見えないものが観測画像に現れ「雲よりも上に何もないわけじゃないんだ」と実感した瞬間は衝撃でした。

越冬隊参加は2度目ですが立場が全然違います。前回は自分の観測に全神経を集中させましたが、今回は自分の観測はできません。「越冬隊長で行くってどういうこと?」と模索する日々ですが、前回の経験は「ほぼ生きない」と考えています。また、「2回目の越冬は危ない」とも言われます。何か勘違いして分かっているつもりになって、事故につながったりするということですね。「全てが初めてだと思ってやる」。そう肝に銘じています。

オーロラの映像をバックに抱負を語る第67次南極観測隊の江尻省・越冬隊長=東京都立川市の国立極地研究所(芹沢伸生撮影)

日本にしかできない

近年、日本の南極観測隊は夏の南極で行う観測に力を入れています。一つは海。今、南極の氷は猛スピードで溶けています。大陸からせり出した巨大な氷の下に沖合の暖かい海水が流れ込み、融解を促進しているとみられており、それを裏付ける観測を昭和基地から東へ約3千キロ離れたトッテン氷河沖で行っています。

一方、昭和基地から約1千キロ内陸の標高約3700メートルにある「ドームふじ観測拠点Ⅱ」では氷の深層掘削を行っています。南極大陸を覆う厚い氷の下にある、100万年前の空気を含む氷を掘り出す大型プロジェクトです。

いずれも優れた観測船や雪上車、観測機材などが欠かせない難しい観測で、日本隊にしかできません。南極観測では「地球の過去を精査」し、「極地で起きている温暖化の影響をつぶさに見る」ことが重要です。いずれも地球温暖化のメカニズム解明には欠かせない情報です。

周到な用意が必要

夏場の観測を成功させるには周到な準備が必要で、お膳立ては越冬隊の役目です。ドームふじ観測拠点Ⅱは簡単には行けません。短い南極の夏に少しでも長く観測を行うため、掘削を行う夏隊員は飛行機で昭和基地に近い南極大陸の拠点まで飛び、そこから約1千キロ内陸の観測拠点に雪上車で移動します。

過酷な内陸の移動に使う雪上車を事前に整備し、出発の拠点まで燃料を輸送しておくのは前年から南極にいる越冬隊です。内陸へ向かう隊員のレーション(携帯食)も、越冬隊員が昭和基地で作ります。越冬隊なくして、夏場の大型プロジェクトは回りません。

ただ、越冬隊員には自分の観測もあります。来年2月から昭和基地を運営する67次越冬隊は、来年末から南極で活動する68次夏隊のサポート作業が盛りだくさんです。かつて、「南極観測隊は越冬のためにある」という一面がありました。でも、今は夏と冬をまたぐ形で観測が続けられています。

満点の星とオーロラ

南極で印象深いのは、越冬中に昭和基地で見た満天の星。空の上だけでなく海氷と空の境界から、ものすごい数の星が見えました。日本だと水平線や地平線のあたりはモヤモヤしてますが、南極はクリアですぐ星があり「宇宙空間の中にいるんだ」と感じました。そこにオーロラが出たら、もう最高です。

来年11月に1次隊出発から70年の節目を昭和基地で迎えますが、特に意識はしていません。今後も続くのだから節目というより通過点。先輩たちと同じように前次隊から受け取ったバトンをちゃんと次の隊へつなぎたい。「自分たちの隊で終わらせるわけにはいかない」という重圧を感じています。もちろん、国内と南極で一緒に行う70周年のイベントなどは頑張ります。

越冬隊は2回目ですが、今回は隊長で前回と立場が全く違います。準備を進めるうち「隊長の立ち位置」を意識するようになりました。大きなことは言えませんが「みんな無事に帰ってくる」のが第1の目標です。その上で、安全に注意しながら、みんなが「やり切った」と思える、最大限の成果を持ち帰れるように頑張りたいと思います。

聞き手:芹沢伸生(産経新聞)

■江尻省(えじり・みつむ) 昭和48年生まれ。京都市出身。国立極地研究所(東京都立川市)宙空圏研究グループ准教授、博士(理学)。専門は超高層大気科学。静岡大学理学部卒。名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了後、国立環境研究所、米国・ユタ州立大学、京都大学生存圏研究所を経て現職。第51次南極観測隊の夏隊、58次隊の越冬隊に参加。67次隊で女性初の越冬隊長を務める。出発は今年12月、帰国は再来年3月の予定。

2025年11月9日産経ニュース【令和人国記】を転載しています

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