三島由紀夫は私財を投じて民兵組織「楯の會」を結成した
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今年は日本を代表する作家、三島由紀夫=当時(45)=が、自ら結成した民間防衛組織「楯の會」の会員4人と陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で決起し、学生長の森田必勝=当時(25)=と衝撃的な自決をしてから55年となる。11月25日には横浜市鶴見区の鶴見神社で2人を追悼する55年祭が開かれた。
主催したのは三島のまな弟子で組織する「三島森田事務所」(勝又武校代表)で、元楯の會会員10人を含む70人が参列。2日前の23日には、三島が眠る多磨霊園に20人が墓前参拝した。
三島らによる市ケ谷での出来事は時間の経過とともに歴史に埋没し、人々の記憶から薄れつつあると思っていたが、くしくも三島生誕100年に当たった今年、三島の言動が改めて注目されていると聞いた。
なぜか。近年「保守」という言葉が錦の御旗のようにあちこちで耳にする。まさにわが国は保守ブームだが、日本の伝統文化などにこだり続けた三島は、命をかけて何を伝えたかったのか。今の保守ブームをどう捉えているのか。答えを探ることにする。
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三島は、昭和43年10月5日、左翼革命勢力の間接侵略に対抗することや自衛隊が治安出動する事態になった際に側面から支援する目的などで私財を投じて民族派学生による民兵組織を結成し「楯の會」と名付けた。
三島は、楯の會を「武器を持たない世界で一番小さな軍隊」「つねにStand byの軍隊」と称し、会員になる条件に、1カ月間、陸上自衛隊で軍事訓練を受けることを課した。会員になると、月1回の定例会に出席し、10人単位の班の活動に従事、週に1回皇居になる武道場「済寧館」で居合と剣道の稽古、さらに1年後には再び自衛隊に短期入隊し訓練を続けた。
筆者:宮本雅史(産経新聞客員編集委員)
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2025年12月14日産経ニュース【親日保守を考える(6)】より
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