ベストセラーとなった牛島信著『上場廃止』(幻冬舎文庫)
This post is also available in: English
JAPAN Forwardにもたびたび登場する人気作家で、企業弁護士の牛島信氏が執筆した『上場廃止』(幻冬舎文庫)が2025年秋、ベストセラーになった。丸善・丸の内本店で10月、文庫部門で1位になっていた。解説を書いた私としてもうれしい限りだが、正直に言うと、驚いた。
ネットで『上場廃止』が『国宝』(朝日新聞出版)の上にあるのを見たとき、おもわず画面を見直した。『国宝』は芸と人間に焦点を充てた物語で、映画化された映像の圧倒的な美しさとあいまって小説は累計180万部を突破した今年一番の話題作だ。
一方の『上場廃止』は、タイトルがそれを示しているように一般の人にはとっつきにくい企業法務の話だ。それも登場人物は剛腕の69歳の男性社長。側近の常務、監査役を務める弁護士などだ。専門性も高い。一見すると、とても大衆受けする物語ではない。
企業法務の実態を描く
では、なぜ、ここまで売れたのか。それは本当のことが書かれているからだ。
例えば、社外取締役の選任。会社法では、他の取締役と同様に取締役会で選任議案を決め、株主総会の過半数の賛成を得て決まる。
しかし、小説では、社長の樋山がこう独白する。「ウチの社外取締役になってくれよ、と言われれば、頼まれた奴はうれしいんじゃないか」。そして「さて、どいつにするか」と自分が世話になったり、元同僚だったりと自分には絶対逆らわない人を充てた。

増え続ける社外取締役だが、人選はブラックボックスだ。会社の株主総会の提案理由を読んでみても、形式的だ。元銀行幹部の社外取締役の候補者であれば、「金融に関する知見と経験をいかし」。大学教授であれば、「企業経営に関する専門的な知見や見識から」などと同じような語句のオンパレードだ。
取締役会の重み
さらに、物語を読んでいるうち、会社法が想定するコーポレート・ガバナンス(企業統治)の仕組みを知ることができる。
例えば、取締役会。物語には、不動産会社のグリーンヒルAが人員削減に踏み切る場面が出てくる。従業員集会で非正規の従業員から「子どものためにお金がいるんです」と詰め寄られるが、会社は態度を変えなかった。
実は、人員削減は社長が独断で決めたことだ。しかし、取締役会での決議もとっていた。顧問弁護士は、取締役会で決めたことの重さを強調し、社長といえども覆すことはできないと指摘する。そして「取締役会がいつも最善の決断をするとは限りません。間違っているかどうかは重要ではない、と言っていい」とも発言(後で撤回する)させている。法治国家では、法の手続きが現実を拘束することが分かる場面だ。
監査役制度の実態
監査役制度に関する説明は圧巻だ。一般にはなじみが薄い制度かもしれないが、監査役はいわゆる「お目付け役」として経営者と同格と言える地位と権限を会社法によって与えられている。だが、小説では、「五十五歳で監査役になった人間が(中略)別会社に行けるという思いを持てば、独立した判断なぞ絵に描いた餅でしかないだろう」「実際には、力を出すことはない。そんな人物は監査役にならない。なれない。監査役を選ぶのは株主総会だといっても、実際は社長が決めるからだ」。

こんなことは会社法の解説書には一切、出てこない。大型書店に行けば、コーポレート・ガバナンスの「実効性の確保が課題となっている」といった程度の説明があるくらいだ。
牛島氏の小説は、物語の力を借り、会社法のめざした姿と、現実の運用実態をつまびらかにした唯一無二の取り組みだと感じる。
ゴーン事件とガバナンス
そういう意味では本の帯にある「コーポレートガバナンスとはいったい何か?」に十分、応えた本になっている。この本を読む機会を得た読者は、企業不祥事を考えるうえで、抜群の理解力を持つことになる。
帯には「あのカルロス・ゴーン事件を予言した」とあった。小説は、社長の所得隠しが表面化し、それを知った監査役が苦しむ。そして、その情報を流したのは社長の最も信頼する側近だったという筋書きだ。
あまりに知られていないが、日産自動車のゴーン前会長の容疑事実を東京地検特捜部に持ち込んだのが現職の監査役だった。

この監査役も悩んでいた。関連する裁判でこの監査役は「自分では判断できなかった。当局に判断してもらうしかなかった」と証言している。そして、ゴーン事件では秘書課長が司法取引に応じ、様々な証言に応じて立件に至った。構図が限りなく近寄っている。
何より、著者の牛島信氏は、事件発覚前から、日産のガバナンスのことを気にかけていた。事件前、ある新聞社のコラムに「高額役員報酬は何のため」「役員報酬高額化と企業統治」とのタイトルで、ゴーン前会長の高額報酬にふれ、コーポレート・ガバナンスのうえでの意味を論じ、こんな言葉を残している。「しかし、経営者とて人の子、株価さえ上げれば報酬が増えるとなれば、ものごとの優先順位を間違うこともあり得るのではなかろうか」。
著者:加藤裕則(ジャーナリスト)
This post is also available in: English

