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エネルギーは国家にとっての血液だ。とりわけ、安価で安定した電力なしには、高度情報化社会での生産活動は成り立たず、日常生活にも支障を来す。
自民党総裁選に出馬した4候補の間でも、電力に代表されるエネルギー問題が主要な争点の1つとなっている。
天然資源に乏しいわが国にとってエネルギー政策は、他国にもまして切実な問題である。また、脱化石燃料で地球温暖化防止を目指す「パリ協定」の履行においてもその重要性は高まる一方だ。
昨年からのパリ協定運用開始に伴い、脱炭素社会への動きは、経済と政治と国際覇権の行方を巻き込んで勢いを増し、世界全体に行き渡る巨大潮流となっている。
二酸化炭素をめぐる国家間の力学が今世紀を支配する雲行きだ。気候変動問題はエネルギー安全保障と表裏一体であるだけに、わが国のエネルギー政策も世界的な構図の中で俯瞰(ふかん)される必要性が一段と高くなっている。
こうした情勢を背景に4候補の原子力と再生エネルギーを含む政策の中で争点化しているのが「核燃料サイクル」の問題だ。
原発の使用済み燃料を再処理してウランとプルトニウムを回収し新燃料として再生させる核燃サイクルは国の基本政策である。
河野太郎ワクチン担当相は以前から核燃サイクルについて「継続する意義はない」と否定的だ。18日の候補者討論会でも、サイクルの中核の再処理工場(青森県六ケ所村)について「起動しても使い道がない」と切り捨てた。
再処理をせずに使用済み燃料をそのまま地下に埋める「直接処分」への変更を志向しているのかもしれないが、直接処分では処分場の大規模化が避けられない。
その上、天然ウラン並みのレベルに減衰するまでに、再処理処分に比べて10倍の100万年を要することになる。再処理処分には合理性こそあれ、直接処分に劣る要素は見当たらない。
プルトニウムの回収をその一環とする核燃サイクルは、日米原子力協定によって非核保有国の中では日本だけに認められているウラン資源の有効利用策だ。日本側からの放棄は、原子力発電の日米協力分野に負の波紋を広げる無分別極まる行為である。
総裁選が視野に入った時期から河野氏は、持論の「脱原発」を封印したかのように「安全が確認された原発を当面は再稼働していく。それが現実的だ」と語っていたが、核燃サイクルの中止をもくろめば二枚舌にほかならない。
サイクルが中止なら、再処理工場に預けられている使用済み燃料は、青森県との約束で各原発に返却されるので原発の貯蔵プールは満杯になり、運転停止の事態を迎える。全原発の元栓を閉める格好の切り札なのだ。
閣議決定に向けて大詰めの段階にある次期エネルギー基本計画には、原発の新増設が書かれていない。これで脱炭素を目指すのは非現実的だ。かつて54基あった原発が新増設なしでは2050年には23基、60年には8基に減る。
これでは太陽光などの再生エネを拡大しても50年時点でのカーボンニュートラルも電力安定供給も望めない。計画には新増設の明記があるべきだ。高市早苗前総務相は修正の必要を訴えている。
また、再稼働の遅さも問題である。現状では30年度の温室効果ガス46%削減(13年度比)の達成もおぼつかない。
10月末から英国で開かれる国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)では、パリ協定の30年目標の実現性の根拠が厳密に問われるだけでなく、さらなる削減目標の上積みが求められよう。こうした要請に応えるためにも原発の積極活用が不可欠だ。
岸田文雄前政調会長、高市氏、野田聖子幹事長代行の3氏には一段と踏み込んだ原子力発電活用論を期待したい。河野氏を含めた全候補とも、再生エネのユートピア論から目覚めるべきだ。日本には高温ガス炉という卓抜した次世代小型原発の技術があることを河野氏も熟知しているではないか。
中国の台頭によるパラダイムシフト下での日本の将来は、ひとえに国の次期リーダーが打ち出すエネルギー政策にかかる。人選を誤らず、エネルギーの強靱(きょうじん)化を通じた国力の回復を期待したい。
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2021年9月24日付産経新聞【主張】を転載しています