Mimei Sakamoto in Paris 001

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漫画家から評論家やコメンテーターなど活動の場を広げてきた日本のアーティスト、さかもと未明さん(56)の絵画が、前衛芸術家や新進芸術家を積極的に紹介することで知られるフランスの展覧会「サロン・ドートンヌ」(秋のサロンの意味)に入選し、10月27日、作品の内覧会がパリで開かれた。

 

1903年に始まった同展覧会は、フォービズムやキュビズムなど近代絵画の新しい運動が登場する舞台となり、日本人では、藤田嗣治、小山敬三、東郷青児、佐伯祐三、ヒロ・ヤマガタらの作家が入選している。さかもと未明さんは、自らの病やコロナ禍を克服し、入選にこぎつけた喜びと決意をJAPAN Forwardに寄稿した。

 

 

「アートの海」の一滴として生きる

 

2021年10月27日。私はパリ、シャンゼリゼ・クレマンソー駅のシャルル・ド・ゴール像の下にいた。今回、世界で知られる絵画展覧会の一つサロン・ドートンヌに私の絵「Bateau l’avoir 」が入選し、「ベルニサージュ」という、作家と関係者のみの内覧会に参加するためだ。

 

 

日本人アーティストの海外展への出展をサポートする、欧州美術クラブの人と会い、印刷された招待状を受け取った。これと衛生パス、もしくはCovid19の陰性証明がそろわないと会場に入れない。マスクは勿論着用。招待状一枚につき一人しか同伴できない。中々ない機会なので、11月からパリでの個展もあったが、渡仏を早めて参加することにした。

 

さかもと未明「Bateau l’avoir 」

 

サロン・ドートンヌ入選の通知を受け、嬉しかったのは言うまでもない。ピカソ。セザンヌ。マチスなど、名だたる芸術家を輩出し、フォービズムやキュビズムといった現代絵画の潮流を生み出した展覧会だ。「入賞」ではないが、「入選」をして、シャンゼリゼの特設会場に展示されるだけで嬉しかった。皆が「世界の作家としてのスタート地点に立てたね。おめでとう」と言ってくれる。難病からの起死回生の復帰をずっと支えてくれた主人の武田茂が喜んでくれたのは、言うまでもない。

 

 

武田は「あと数年で寝たきりか、死か」と言われていた私と結婚し、可能な限りの休養と治療を授けてくれた。私が罹患した膠原病は、今はステロイドなどの治療で生存率が飛躍的に高まったが、私が罹患した種類は、今も致死率や動けなくなる確率の高い病気だった。医師でもある武田はそんな私を受け止めてくれた。なんの得もないのに私と結婚し、「家事などしないで、からだを休め。よくなったらアートだけに時間と体力を割け」と言ってくれた。

 

 

「体力も残された時間も短いんだから、可能な限りの時間を絵や歌に注ぐべきだ」。そして「単にゴッホを支えた弟のテオみたいになりたいのさ」と笑った。ありえない寛容さだ。

 

わたしは奇跡的に回復した。死線を乗り越えて今は歩いたり、描いたり、歌ったりできている。そんなとき、いつも思うのは、「こんな恵まれた環境なのだから、命がけで練習し、描いて、私の表現を世界に響かせたい。主人を喜ばせたい」ということだ。だから私が海外の展覧会を目指したのは、自然なことだった。

 

 

しかし一歩会場に入れは、溢れんばかりの輝く才能たちを見ることになる。どうやったらこの中でもひときわ輝く作品を描けるのか。

 

「自分にしかできない表現とテーマを見つけなくちゃ。今回は自分なりにいろいろ工夫したけれど、足りない。もっと違うステージで工夫しなくちゃ」。飛行機を早めて現地に着てよかったと、心から思った。

 

 

嬉しかったのは、和服と、出品作家だけがつける名札のおかけで、多くの作家たちが声をかけてくれたことだ。新人も、ベテランも、驚くほどフランクで明るい。この根源的な明るさがなければ、審査され、時に落選し、後輩や新人に軽々と追い抜かれる事もあるこの世界で、生きられないからではと思った。

 

アートは、才能に対してフェアに道を開いてくれる。しかし、ここに来たからには作品だけで勝負だ。難病を抱えて頑張ったとか、貧困や差別、紛争…など様々な問題を誰もが抱えているだろうが、関係ない。また、国際的な場所でこそ、固有の文化が輝く。

 

 

今後私は、有象無象の才能がひしめく「アートの海」の一滴として生きていく。その中で一条の光となるために努力することは、日本人としてのアイデンティティを見つめ、古来の文化をどう自分らしく、現代的に解釈して表現できるか、それを考える旅になると思った。

 

 

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