
立命館大教授の垂秀夫・前駐中国大使
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参院選(7月20日投開票)で舌戦が繰り広げられている。与党に所属する候補は、当選すれば、いつ国益をかけた外交交渉の最前線に立ってもおかしくはない。外務省で対中外交一筋の経歴を歩み、6月に回想録『日中外交秘録 垂秀夫駐中国大使の闘い』(文芸春秋)を上梓した立命館大教授の垂秀夫前駐中国大使は産経新聞のインタビューに応じ、「国会議員よ、中国に行け」と唱えた。昨今、中国を訪れるだけで「媚中」と批判される向きがあるが、日本の各種メディアが「中国が最も恐れる男」と形容する垂氏が外交の要諦について語った。
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「親中をやれ」「尻尾振れ」と言っているのではない
<垂氏によれば、2023年に台湾を訪れた日本の国会議員は100人を優に超えたという。一方、中国には同年11月に公明党の山口那津男代表(当時)ら4人が訪れても計10人に満たなかった。垂氏は外務省を退官した今、若手を中心に国会議員に対し、訪中の意義を説いている>
「昨年春ごろ、自民党の遠藤利明元総務会長、齋藤健前経済産業相の招きで、(党中央政治大学院)の『背骨勉強会』で、百人弱の議員らに対し講演を行い、こう強調した」
「もう私は役人ではないのでズケズケ言わせてもらいます。皆さん、国の議員でしょう。地方議員が姉妹都市交流で台湾に行くのは分かるが、国家の外交上、一番大事なのは米国と中国だ。米国は言うまでもないが、なぜ中国に行かないのですか」

「『別に親中をやれ、尻尾を振れ』と申し上げているわけではない。中国に行って中国をよく視察した上で、中国に対し日本の主張をしっかり伝えるべきだ。少なくとも、私は大使としてそうやってきた。遠く離れた日本で、『中国はけしからん』とほえても、中国は何も変わらないし、日本の主張は伝わらない。それが日本の国益になるのですか。中国に行って、先方に面と向かって言うべきことを言えばいいでしょう」
反中の裏返しの訪台に意味はない
<昨今、国会議員が訪中すること自体に『媚中』『親中』とみなす向きがある。訪中を計画する議員の事務所に抗議の電話がかかってくることもある>
「短絡的ではなく、もっと戦略的な発想を心がけるべきだ。もちろん、中国の主張を唯々諾々と受け入れるだけなら、訪中しない方がいいだろう。また、台湾を訪問するとしても、単に反中の裏返しで訪問しているようでは意義は深まらない」
<垂氏は日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所に2回勤務した経験があり、24年5月には蔡英文総統(当時)から叙勲を受けている。台湾にもしっかりと主張すべきである、と言う。例えば、台湾のエネルギー政策が抱えるデメリットについて、日本の国会議員らは勉強不足であり、しっかりとアドバイスすべきと指摘する。台湾も民主進歩党の結党以来、脱原発政策を進めており、5月17日、最後に稼働していた南部・屏東(へいとう)県の台湾電力第3原発2号機を停止した。40年前に台湾の総発電量の約半分を占めた原発は「ゼロ」になった>

「台湾にどういう課題があるのか。在台湾米国商会のレポートによれば、現在、台湾で最も心配されているのは地政学的リスク(武力侵攻)ではなく、エネルギー不足の方だ。中国が台湾を海上封鎖すれば(輸入)エネルギーはなくなるわけだ。しかも、台湾にとって最重要なのは半導体産業であり、電力をすこぶる消費する。にもかかわらず、原発を止めてしまった。責任ある政府がやることではない。台湾にとって耳が痛くても、エネルギー事業も含めてレジリエンス(強靱性)強化についてしっかりと意見交換すべきだ」
安倍晋三元首相は国益に基づく対中外交を実践
<日本の対中外交は、田中角栄元首相、野中広務元官房長官ら中国指導者と太い人脈を構築した政治家によって担われた経緯がある。その流れを引き継いだ自民党の二階俊博元幹事長は24年10月の衆院選で政界を引退した。現在、中国人脈を受け継ぐ日本の政治家は見当たらず、中国側でも個人的信頼関係を構築し、対日外交を行う政治家はいなくなったという>

「この人がいれば対中問題は任せられる、という時代は終わった。二階氏は確かに親中派だが、自民党内には中国に対し厳しい人もたくさんいて、そのバランスが大事だった。いまこそ、国益とはなにかということに立ち戻って、対中外交を戦略的に再構築すべきだ。国益で対中外交に取り組んだのが安倍晋三元首相だ」

「安倍氏は本来、超親台湾だが、オンとオフを切り替えることができた。中国は2006年に安倍氏が1回目の首相に就いた当時、小泉純一郎首相(当時)よりもタカ派とみていた。当時、安倍氏は対中外交を重視したが、中国を振り返らせるには〝魔法の言葉〟が必要だった。それが安倍氏が提唱した(日中の共通利益を拡大する)『戦略的互恵関係』の「戦略」という言葉だった。安倍氏は政府として公的な立場を理解した上で、国益に基づいて発言し行動した。『自分は親台、反中だ』と声高にやれば長続きしない」
戦略なき「石破外交」、見透かされている
「石破茂首相も戦略的互恵関係の言葉を使っているが、もはや効き目はなくなりつつある。お題目も念仏も100回、1000回唱えても、心がこもっていなければ、何の意味もない。心は、つまり戦略だ」

<石破首相は昨年10月の就任直後、訪中に意欲を示した一方、現在、その熱意は薄れているとされる。中国政府も石破政権について当初、久々の対中友好政権の誕生とみていたが、その認識を改めつつあるという。石破首相は2月の日米首脳会談で、台湾情勢に関し「力または威圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対」と明記した共同声明を出した>
「共同声明の核心部分は日本主導で作成されたといわれている。中国からすれば『石破よ、お前もか』みたいな所はあっただろう。石破首相が、中国にも、米国にもよい顔をしたいと思っても、そんな簡単にはいかないということだ。外交に戦略性がないと簡単に中国に見透かされる」
「今年の夏は、日本にとって、とても暑い夏となるのではないかと案じている。中国では7月31日から(旧日本軍が細菌戦研究を行ったとされる関東軍防疫給水部=通称731部隊=に関する)映画「731」が鳴り物入りでロードショーされ、8月15日の後、9月3日には抗日戦争勝利80周年記念軍事パレードが催される。そして、(満州事変の発端となった柳条湖事件の発生日)9・18記念日だ」
「最近の日米関係や米中関係を見ていると、トランプ米大統領が軍事パレードに参加しないとも限らない。そうなると、『日本はもう一度敗戦を迎える』ことになりかねない。そうなれば事態は深刻だ」
聞き手:奥原慎平(産経新聞)
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