2月11日、建国記念の日を迎えた。祝日法は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日と定めている。
Japanese flag

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2月11日、建国記念の日を迎えた。祝日法は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日と定めている。

今年は戦後80年にあたる。祖国日本の建国を祝うとともに、歴史を顧み、国の行く末にも思いを巡らす日としたい。

新年一般参賀に臨まれる天皇、皇后両陛下と長女の敬宮愛子さま、上皇ご夫妻と皇族方=1月2日午前、皇居・宮殿(斉藤佳憲撮影)

先の大戦後、日本を再び強国にさせないという連合国軍総司令部(GHQ)の方針の下、国民の愛国心や団結心を養う制度やしきたりが次々に廃止されていった。

占領が終わってからの日本は、大切な幾つかの制度やしきたりを取り戻してきた。

建国記念の日はその一つといえる。もともとは「紀元節」といい、建国を祝う式典が各地で開かれていたが、昭和23年、GHQの圧力で廃止された。

国民の多くは存続を望んだ。27年に日本が主権を回復すると祝日法改正の動きが起こり、41年に国民の祝日として復活したのである。

『神武天皇東征之図』八咫烏に導かれる神武天皇(public domain via Wikimedia Commons)

建国の由来を語り継ぐ意義は大きい。日本書紀によれば、新暦の紀元前660年2月11日に初代の神武天皇が橿原宮(奈良県)で即位し、国づくりが始まった。以来、第126代の今上天皇に至るまで、一系の天皇を戴(いただ)く国として歩んできた。

日本は、世界で最も古くから続く国だが、その出発点がこの日であると言い伝えられてきたわけだ。

明治天皇

欧米列強がアジアに進出して独立が脅かされるようになると、日本人は明治維新を成し遂げ、明治天皇を中心に国民が団結して国難を乗り越えた。その一環として、明治6年、政府は2月11日を「紀元節」と定め、国民こぞって国の肇(はじ)まりを祝うようになった。

ただ、「建国記念の日」になってからは、祝日としての意義が国民の間に十分浸透しているとはいいがたい。政府主催の式典も開かれておらず、学校教育でもきちんと教えられていないのは残念である。

占領期に紀元節が廃止されたことを理由に、建国記念の日を敵視したり、ないがしろにする声がいまだに存在しているのは信じがたいことだ。

日本はれっきとした独立国であり、占領政策を批判してもはじまらない。政府は、盛大な式典を主催し、国民が建国を祝い、力を合わせよりよき日本を作る契機にしてほしい。

2025年2月11日付産経新聞【主張】を転載しています

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