
宵闇に包まれる南禅寺の水路閣(安元雄太撮影)
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「あなたは幸せな方だ。昔だったら、これだけの仕事をしたら殺されてしまっていたに違いない」
大津市から京都市へ水をつなぐ琵琶湖疏水(そすい)の工事を担った土木工学者・田辺朔郎(さくろう)。工事が完了した後でこんな趣旨のことを告げられたことがあると著書に記している。
琵琶湖疏水は、東京への遷都を契機に衰退した京のまちを復活させる一大プロジェクト。明治23(1890)年に第1疏水が竣工したが、古都を一変させることへの反発は強かった。

福沢諭吉は自身が創刊した新聞「時事新報」で、明治の世になり京都に残されたのは「山水の美と神社仏閣の旧(ふる)きとのみ」であり、旧跡を保存するのが「智者の事」と指摘。疏水工事を「事物の緩急前後を誤り、所謂(いわゆる)文明流に走りたるの軽挙」と非難している。
京都市左京区の「水路閣」は、南禅寺境内を横切る水路橋だ。西洋風の橋脚は完成当時「文明流」の象徴に見えたかもしれないが、今では赤茶色のレンガが苔むし、アーチのレトロな雰囲気もあいまって、山門や塔頭(たっちゅう)が織りなす和の風景に調和している。

橋上を流れる水を見れば、現役で働いていることが分かる。疏水は水道水の供給にとどまらず、発電や防火などさまざまな用途でまちを潤し続けている。
今年8月27日には、水路閣や傾斜鉄道「蹴上(けあげ)インクライン」、3本のトンネルといった関連施設5件が、明治以降の土木構造物として初となる国宝に指定された。
市上下水道局の担当者は「琵琶湖疏水は京都を復興に導いただけでなく、今も支えている重要なインフラです。評価されたことを誇りに思います」と胸を張る。


「殺されたら神様になるさ」
冒頭の言葉にこう返した田辺は、昭和19年に亡くなった。もちろん、殺されることはなかった。いまも息づくその功績は、京都を京都たらしめるものとなっている。
水路閣をはじめ国内外の旅行者でにぎわうまちを見て、そう思った。
筆者:安元雄太(産経新聞)

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■琵琶湖疎水 琵琶湖から京都へと水を運ぶ人工の運河。大津市から京都市伏見区までの第1疏水(約20km)、全線トンネルの第2疏水(約7.4km)、京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る疏水分線(約3.3km)などから成る。明治期の竣工以来、舟運、水力発電、飲料水供給などさまざまな役割を担い、今も活用されている。
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