米軍による原爆投下から80年。広島市中区の平和記念公園では、犠牲者を追悼し、祈りをささげる人の列が絶えなかった。
Hiroshima peace memorial ceremony 80 years 2

多くの人が訪れ、犠牲者を弔い平和への祈りを捧げた平和記念公園=8月6日午前、広島市中区(彦野公太朗撮影)

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広島市中区の平和記念公園では8月6日、空が白み始める前から犠牲者を追悼し、祈りをささげる人の列が絶えなかった。米軍による原爆投下から80年。高齢となった被爆者も若い世代も「戦争がないように」と、静かに手を合わせた。

「平和への誓い」を朗読する子供代表に選ばれた広島市立祇園小6年の佐々木駿さん(12)と、同市立皆実小6年の関口千恵璃さん(12)は「被爆者の思いを語り継ぎ、平和をつくり上げていく」と力強く宣言した。

平和への誓いを行った子供代表の関口千恵璃さん(右)と佐々木駿さん=8月6日午前、広島市中区の平和記念公園(彦野公太朗撮影)

佐々木さんは訪日外国人に原爆の歴史を伝えるガイドを続ける。被爆者である曽祖母の話に涙する人も多く「一人の力は小さいが、伝えることで人の心を動かし、平和の輪を広げていける」と力づけられた。曽祖母は12歳の時、爆心地から1・5キロ地点で被爆し、黒い雨に打たれた。差別を恐れ、被爆者であることを隠し続けたという。

関口さんは、ロシアが侵攻するウクライナから母と3人で避難してきた姉妹と友人になり、大切な家族との日常を奪うのが戦争だと考えるようになった。「核兵器は国が主張を突き通し、威嚇するための道具。世界の主導者に争いではなく違いを認め、話し合って解決する大切さに気付いてもらいたい」と話す。

1945年10月の広島

息子と訪れた広島市安佐南区の片岡繁さん(84)は、80年を「あっという間」と振り返った。自身は疎開先で被爆。父は遺骨も見つからなかった。「戦争は心の破壊。傷はいつまでたっても癒えない」

広島市南区の大野忍さん(84)は慰霊碑の前で亡き父母、姉を思った。「平和に過ごさせてもらった。これからも戦争がないように」と祈った。今も続くウクライナの状況には「気の毒で、気の毒で」と言葉を継げなかった。

広島市安佐南区の小学校教員、小泉晋作さん(35)は「子どもたちには自分の事のように考えてほしい」。小学校1年生の娘、花絵さん(7)と共に手を合わせた。花絵さんは「(原爆が)一生落ちませんよう」と願った。

(産経新聞)

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