終戦の日を迎えたが、80年前の8月15日で戦闘が終わったわけではない。ソ連が昭和20年8月8日、日本に宣戦布告し、翌9日から侵攻を開始したからだ。

兵庫県淡路市の伊弉諾(いざなぎ)神宮に建立された樋口季一郎の銅像
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終戦の日を迎えたが、80年前の8月15日で戦闘が終わったわけではない。ソ連が昭和20年8月8日、日本に宣戦布告し、翌9日から侵攻を開始したからだ。
8月10日付の産経新聞本紙朝刊、JAPAN Forwardでは15日に掲載した「占守(しゅむしゅ)島の戦い」もその一つ。日本のポツダム宣言受諾後も侵攻を続けるソ連軍に対し第5方面軍司令官の樋口季一郎中将は「断乎(だんこ)、反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」と命じた。

千島列島の北東端の占守島での激戦の末、日本優勢のまま停戦が成立した。
駐蒙軍司令官だった根本博中将は満州や中国での侵攻をやめないソ連軍を前に武装解除を拒否。

攻撃を食い止めながら最後の邦人が列車で出るまで守り抜いたという。ソ連には北海道の北半分を占領する計画があったとされるが、そうした自衛戦がなければ日本の形は変わっていたかもしれない。戦後80年の節目に胸に刻んでおきたい歴史だ。
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2025年8月14日付産経新聞【難波風】を転載しています
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