日本で唯一の「東京駅研究家」を自任する佐々木直樹さん。写真集の発売やイベント開催に注力、「魅力を発信できる場を作りたい」と力を込める。
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戦後60年にわたって親しまれた東京駅駅舎の「八角屋根」。復原工事に伴い取り壊された(佐々木直樹さん提供)

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大正3(1914)年、建築家の辰野金吾によって設計され、日本の鉄道網のハブとして歴史を紡いできた東京駅(東京都千代田区)をこよなく愛する人がいる。日本で唯一の「東京駅研究家」を自任する佐々木直樹さん(64)だ。物流会社に勤める傍ら、写真集の発売やイベント開催に注力している。インバウンド人気も高まる中、「魅力を発信できる場を作りたい」と力を込める。

珍しい雪景色の東京駅丸の内駅舎(佐々木直樹さん提供)

鉄道クラブが「原点」

鉄道に強くひかれたのは小学校高学年のころ、夏休みに両親と出かけた九州旅行だ。新大阪から乗車した寝台列車「ブルートレイン」の食堂車で、ビーフシチューに舌鼓を打った。その味は「今でも忘れられない」。

その後、小学校の友人たちと鉄道クラブで活動するようになり、都内のターミナル駅や車両基地を撮影。「僕の原点はここにある」と佐々木さんは話す。

6年生になると、JR上越線や羽越本線を経由し、東北を一周する計画を立てた。外出するのが好きだった両親もこの旅行に同行。中学2年の時に父が亡くなった直後も、急行「桜島・高千穂」に乗車して九州に向かう旅に母が付き合ってくれたという。「自分を信頼し、好きなことを伸ばしてくれた」と、母への感謝を口にする。

中学を卒業後、「国鉄に入って車掌を務めたい」という夢のため、国立東京工業高専に進学。だが当時の国鉄は徐々に経営が悪化し、民営化の話が持ち上がるなど「いいイメージが湧かなかった」。車掌の採用枠も少なく、卒業後は「電車の次に好きだった」というカメラ会社に就職した。

「東京駅研究家」の佐々木直樹さん=6月、東京駅丸の内駅前広場(宮崎秀太撮影)

復原工事で意識

入社以降も鉄道を追い続けた佐々木さんだったが、東京駅を強く意識する出来事があった。

2000年代初頭、JR東日本などが東京駅を建設当時の姿に「復原」する方針を固めた。大戦中の空襲の影響で失われた、駅舎の3階部分とドーム形の屋根が復活する一方、戦後60年にわたり利用者に愛された「八角屋根」の解体も決まった。「無くなるものは撮っておきたい」。佐々木さんの「撮り鉄」魂に火が付いた。角度や時間帯に工夫を凝らし、工事が本格化した20年には写真集も出版した。

24年10月に復原工事が完了。はじめは復原されたドーム形の屋根に衝撃を受けた。「これが東京駅なのか…。全然違うものになってしまった」。

だが、同時に東京駅がかつての姿を取り戻したことで「自分が撮る写真や、表現したいこと、伝えたいことがどんどん膨らんできた」。1世紀前から続く東京駅の歴史を後世に伝える使命を感じた。

企画展など開催

JR東などの調査では、令和5年度の東京駅の1日平均利用者数は100万人以上。近年は外国人観光客の姿も数多い。だが、東京駅を見に訪れる人はまだ一部で、多くは「駅」としての利用にとどまっている。

還暦を過ぎた現在も、東京駅が歩んだ歴史や魅力を広く知ってもらおうと、定期的に企画展などを開いている。「東京駅は日本人の心のよりどころで、琴線に触れる要素が集結している。私たちが歴史や魅力を発信し、利用者の質問に答えられるような場を作りたい」。来月3日にも「東京駅研究家はなぜそこまで東京駅にのめり込むのか」と題したイベントを東京駅近くで開催する予定だ。

今後も「東京駅とは何か」を探求し、伝え続けていく。すべては東京駅が「日本一の観光地」であり続けるために-。

筆者:宮崎秀太(産経新聞)

2025年7月13日産経ニュース【TOKYOまち・ひと物語】を転載しています

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