Mitsuhiko Imamori by Genki Imamori

今森光彦氏 近影撮影(©今森元希)

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40年以上、生まれ育った琵琶湖周辺の里山の美しい風景を撮り続けてきた自然写真家今森光彦は、その写真を通して、人と生きものが共存する里山のすばらしさと重要性を多くの人に伝え、自ら里山を復活させてきた。2008年から、日本各地にある里山の取材をする新しいプロジェクトを開始、北海道から沖縄まで、200カ所以上を回って、失われてゆく里山の風景を撮影し記録してきた。この日本の里山を巡る旅で、期待した以上に多くの、すばらしい里山が日本中に残っていることがわかって、「日本列島は、個性的な里山の風景が繋がりあってできているのだな、とつくづく感じる」と今森氏は言っている。

このほど東京都写真美術館で3か月以上にわたって開催された写真展「今森光彦 にっぽんの里山」では、10数年間に撮った日本中の里山の風景の写真3万点以上から1年かけて厳選した作品190数点が展示され人々を魅了した。人が動物や昆虫などさまざまの生きものと絶妙のバランスで共存する空間、里山のさまざまな情景や美しい風景を捉えた写真展は、日本中の里山環境の多様な姿を示した、今森氏のこれまで最大の写真展の一つであった。

日本の里山の撮影は、故郷の滋賀県琵琶湖周辺の里山を深く掘り下げる作業と並行して全国の他の里山に対象を広げ、広い視点から里山を見るために、「できるだけ多くの里山に出合いたい」という思いから始めたものだ。それは、琵琶湖周辺の里山を日本中の里山と比較して見て、大局的な視点で眺めることで、琵琶湖周辺の里山をさらに深く理解するのに役立つと、今森氏は期待する。

ヒガンバナにやって来たモンキアゲハ 広島県安芸高田市 2020年 作家蔵
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里山をよりよく知るために農家になる

大きな転機となったのは、9年前、農家になったことである。農地を取得して、これまで40年以上、外側から撮ってきた里山環境の中に入り里山を内側から見るためであった。琵琶湖が見える丘陵地に、耕作放棄されたままになっていた3ヘクタールの農地で、昔の里山を復活したいと思っていたところにあった。

かつて棚田があったところが45年もの間放置され、荒れ放題に生い茂って手が付けられないほどになった竹林を、専業農家の友人や近所の農家の人たちにも助けられて、開墾して再び農地に戻すのが最初の仕事であった。そして数年の悪戦苦闘の後、ついに里山の環境を取り戻すことに成功したのだ。雄大な比良山地を背景にして、棚田やため池、小川、そして、稲を乾かす「はさぎ」(稲架木)に使われるあぜ道のクヌギなどが、戻ってきたのだ。子どものときから数十年間、取り戻したいと願ってきた風景であった。里山の常連である、チョウや多種多様な昆虫、鳥や動物たちに棲み処を提供すたるために、雑木林が再生され、菜種やさまざまな植物、野菜が植えられた。

「この風景を取り戻したいとずっと思ってきた。この事業を始めた時からの目標だった。専業農家の友人や近所の農家の人たちが、45年ぶりに里山の土手から比良山が見えて嬉しそうな様子を見て、特に嬉しかった」と今森氏は言った。

夏の柴胡畑 高知県越知町 2016年 作家蔵

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生きもののことを考える環境農家

この取り戻した農地で、今森氏は、農薬を使わずに穀物や野菜を栽培している。「環境農家」という新しい言葉を作って、その第一号になったのだという。農地からの収穫よりもその場所の生態系や生物多様性を大事に思う農業のやり方である。

「私の農業のやり方が、生きもののことをすごく考えた農作業をやっているので、専業農家の人にとってみたら、遊んでるようなものに見えるらしい。穫れ高はすごく低くて売るほど作れない、家族で食べるぐらいしか穫れない。その代わり、副産物が非常に多い。里山の小さな生きものに至近距離で遇えますよ。」

今森氏はこの農地を「オーレリアンの丘」と名付けた。30数年前、この近くにはじめて作った1千坪の里山風の庭に「オーレリアンの庭」(チョウ愛好家の庭という意味)と名付けて、そこのアトリエで仕事をする。今ではこの庭に70種以上のチョウが生息する。

「にほんの里山」写真展を機に先月行われたズームによるインタビューで、何故、農家にまでなって、それほどに里山の復興を推進するのか、との質問に、今森氏は、「それは写真家という一表現者であるからだ」と答えた。「写真のテーマとして長年追及してきた里山環境というのは、なぞだらけ、わからないことだらけなので、とことん、知りたいのですね。その最終手段が農家になって、里山の中に入って内側から見ることなのです」と、アトリエに近い自宅から語った。

しかし、「里山の小宇宙」と今森氏が呼ぶ里山の内側に入ってしまうと、対象と近くなりすぎて、あるいはその一部になってしまって、客観的に見ることができなくなって、写真が撮れなくなるという問題があると言う。写真というのはジャーナリズムの延長でもあるので、写真は客観性や対象との距離感がなくなれば撮れなくなるのだ、と。「だから、今は、カメラを持たないで里山の小宇宙の中にいる状態で、農家になってから6年近くカメラを使っていない」と言う。しかし、いつか、その小宇宙から出てきて、また写真を撮りたいと思う。その時に、どういう写真が撮れるか自分でもわからないが、一つ確かなことは、自分の美意識というものが、里山の中に入る前と後では変わるということ。だから、写真も、里山の中に入る前とはちがうものになるはずで、どういう写真が撮れるか、すごく興味がある、と語った。

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子どもたちのための里山昆虫教室

この数年間、今森氏は、子どもたちが、オーレリアンの丘でチョウや多様な昆虫を観察するための「里山昆虫教室」を夏に主催してきた。100人近いの子供たちが、親と一緒に、全国から集まってきて、昆虫を間近で見たり、触ったり、捕まえたりするのだ。

「(オーレリアンの丘は)子どもたちが昆虫を観察して自然を感じるのにすごくいい場所です。そういう場所を作りたかったのです。農薬とかがあまり使ってなくて、肥えた土の匂いがする。生きものに出合うことが約束されたような土の匂いというのが、小さいころには、どこにでもあった。子どもたちの笑顔を見てると、私の里山計画は成功したことがわかる」と今森氏は子どもたちへの思いを語る。

昆虫教室を始めたのは、小さいころに育った自然の環境を今の子どもたちにも味わってほしいという願いからであった。だから、昆虫教室という名前がついているが、その本当の目的は、子どもたちが昆虫を見て昆虫の名前を覚えることよりも、昆虫が棲んでいる環境を体験する場所を提供することなのだと、今森氏は言う。「これは感覚的なことで、学校の授業では習えないこと。『感性の栄養』と呼んでいるが、それを子どもたちに獲得してほしい。自然環境の中で初めて出会ったときのその感覚は、大人になったときに覚えていて、環境のことをよりよく理解するのにつながると思う。」

里山への危機感

今森氏は、急速に消えてゆく里山についての危機感を訴えてきた。「里山は今、危機的状況にあると思いますね」とか、「10年から数年先、あるいは来年、里山があるかどうか」(「にっぽんの里山」写真展開催中のトークの中で)とか、いろんな機会に警告している。

里山の現状についてどう思っているか、里山に対する危機感について、インタビューで訊いた。

「里山を農業の生産エリア、単なる農地と考えれば、後継者不足などの問題はあるが、農業技術の進歩もあり、あまり心配していない。しかし、農地の部分には、生きもののための豊かな自然環境、生態系、が存在するということで、それに関しての危機感はものすごくある。里山を生産性だけを考えた農業エリアにすれば、そういう自然環境はどんどんなくなっていく。生産性を上げれば、そこにいる生きものがダメージを受け、生きものに配慮すれば生産性が下がってしまう。環境農家として農業をしていて、このことがよくわかる。難しい問題だ。」

「(それでも)農地には、作物を取る農地としてだけでなく、すばらしい副産物が非常に多い。自然環境が人の心に与える精神的な影響や、子どもにとっての教育の場とか、自然の多様性、などなど。この副産物を大事にしなければならない。そういうことを真剣に考えていかないと、中途半端なことをやっていると、里山の自然環境はなくなり、どんどん絶滅危惧種も増えていく」と警告する。

(オーレリアンの丘で里山の風景を取り戻すために苦闘した数年を描いた著書『光の田園物語 環境農家への道』の中で、「絶滅危惧種になっているのは、生きものでなくて、環境なのだ」と述べている。)

今森氏は、写真展中に行われた里山についてのトークの中でも、里山の、数多くの生きものが一緒に暮らす「美しい場所」を維持し残していくための一つの方法は、生産性を優先した農業と自然のことをより重視した農業とを分けることかもしれない、と語った。それについて、インタビューで、「そういうことですね。生産性を上げる農業と自然環境に優しい農業の両方を同時にやることは非常に難しくなっている」と述べた。

写真展のカタログから
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里山を残すためにできること

そうであれば、里山の消滅に歯止めをかけ、次の世代に引き継いでいくために我々にどういうことをしなければならないか、何ができるだろうか。

「農家でない都会の人たちが、里山に興味を持って、地方に入ってきて、地元の農家の人たちと混ざりあって生活するということは大事なことだと思う」と今森氏は言う。近年は、若い人たちが都会から地方に移住してきて農業をはじめたり新しい仕事をスタートアップさせたりするようになっている。農家の子どもたちが都会に出て帰ってこない時代だからこそ、この傾向はもっと奨励されるべきだと言う。「次の世代の人たちは、環境の意識が高度成長期に育った人たちよりも高くなってなっていると思うし、そういう人たちが移住して来てくれれば、里山環境を維持するのによい効果があると思う。」

もう一つは、都会で働いて定年を迎えた地方出身の人たちには、故郷に帰って親が耕作をしなくなった農地で再び農業を始めるとか、農地の管理をしてほしいと、そうすれば里山の環境を維持するのに役立つのだから、と今森氏は言う。講演会などをすると、年老いた親が耕作を止めた農地が故郷にあるのだがどうしたらよいかと、聴衆の中からよく質問されるのだという。

里山を維持し次の世代に残していくためには、みんなが、日本独自の自然の仕組みを理解する必要がある。農家にならなくても、里山に行ってそれを見て、感じてほしい、里山の匂い、生物多様性の匂いがどんな匂いがするかを知ってほしいと今森氏は力を込めて言う。里山が「未来の風景」として、次の世代の人々のために残していくために、それが私たち誰にでもできることなのだ、と力を込める。

さらに、里山を復活させ、残していくためには、里山とかかわりを持っていない人たちと、里山の環境を維持してくれている地元の人とをつなぐ役目をする人、プロデューサーのような人が必要だと、言う。「たかがアメンボみたいな生きものがいることがいかに大事かを伝えると同時に、経済的アイデアを持って実行、展開できる人、それがすごく重要です」(『NHKニッポンの里山』)

それはまるで、今森氏自身とオーバーラップして見える。オーレリアンの丘で里山を復活させ、その近くにあるもう一つの里山環境、「めいすいの里山」で、里山復興のアイデアを次々に出してそれを展開してきた今森氏のことのようだ。2016年以来、浄水器メーカー「めいすい」の主宰で、45年間放置され荒れた3ヘクタールの谷津田の環境に、棚田や雑木林のある里山を復元する事業を、「里山総合プロデューサー」のように、企画から進めてきた。

ちなみに、今森氏の公式プロフィールには、写真家のほかに、「里山環境プロデューサー」、「環境農家」、「ガーデナー」とある。1954年滋賀県生まれの今森氏は、1980年からフリーランスの写真家として活動を開始、琵琶湖周辺の自然環境の風景を撮り続けている。木村伊兵衛写真賞(1995年)や土門拳賞(2009年)など多数の賞を受賞している。

七色に輝く紅葉 岩手県八幡平市 2012年 作家蔵

筆者:石塚嘉一(ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ編集長)

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