日本は世界のウェルビーイングをリードできるでしょうか?その答えは条件付きのYesです。「いただきます」のような日常の実践や、つながりの哲学に根ざした日本の文化的智慧は、人類をより調和の取れた、そしてレジリエンスの高い未来へと導く可能性を秘めています。
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Momoe Saito leads a well-being seminar. (©Momoe Saito)

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日本語の「いただきます」は、英語への直訳が難しい言葉です。

日本では、家庭でも高級レストランでも、食事の前に手を合わせてこの言葉を言います。一見すると、ただの食事前の挨拶のように思えるかもしれませんが、「いただきます」には感謝とつながりに根ざした深い哲学が込められています。

はじめに:深い意味を持つシンプルな所作

この習慣は日本だけにとどまらず、世界にとっての教訓を提供しています。食べ物を育てた人々の手、食事を可能にした複雑につながる生態系、そして命そのものに感謝することを通じて、「いただきます」は私たちの命が互いに、そして環境と切り離せないものであるという普遍的な真実を反映しています。

気候変動や社会的不平等といった世界的な課題が共同の行動を求める中、日本が大切にしてきた「つながり」への深い尊敬の念は、「いただきます」のような伝統に体現されています。この価値観は、私たちをより調和と幸福に満ちた未来へと導く手助けとなるでしょう。それは一つの文化に根ざしながらも普遍的に通じる哲学であり、国境を越えて共有する価値を私たちに思い出させてくれるものです。

「いただきます」は、謹んで受け取ります(I humbly receive)と訳すことができます。

私」から「私たち」へ

ストックホルムで開催されたInner Development Goals(IDGs)カンファレンスでは、ダン・シーゲル博士が「From Me to We(私から私たちへ)」という感動的なスピーチを行い、聴衆を魅了しました。博士は「私たちはチーム人類だ」「もし子どもたちが個人は独立して存在していると教えられれば、彼らは分離と苦しみに満ちた人生を送ることになるだろう」と語り、セルフ(自己)の枠を広げ、集団的な意識を受け入れることの大切さを説きました。

MeからWeへというスローガンは画期的なものとして称賛されましたが、その本質は日本の精神性に非常に近いものです。日本文化には何世紀にもわたり、「つながりの中で生かされる」「関係性の中で存在する」という思想が息づいています。この哲学は、個人主義や分断が蔓延する現代社会の解決策となり得ます。

ウェルビーイングに欠けている要素

私がハーバード大学に短期留学をした際、ウェルビーイングに関する主流の議論には欠けやすい視点があることに気付きました。西洋では、そして近代化した東洋でも、ウェルビーイングはしばしば個人のパフォーマンス最適化という面から語られます。脳機能やホルモンバランス、生産性といった数値に焦点が当てられ、それ自体は効果的ではあるものの、孤独感を招きがちです。

日本の哲学はこれに対し、代替案を提示します。それは、「分離は幻想である」という考え方です。日本語の「生かされている」「おかげさま」という表現には、私たちがより大きな全体と切り離せない形でつながっているという世界観が込められています。この「つながり」の感覚は、日本の精神性、特に禅の教えに深く根ざしており、メンタルヘルスや環境の持続可能性といった地球規模の課題に取り組む上で重要な視点を提供します。

Wellbeing Leaders Forum :叡智をつなぐ場

2024年11月、私は「Wellbeing Leaders Forum」を主催する機会に恵まれました。このフォーラムでは、G20諸国からウェルビーイングを牽引する25人のリーダーを招いて、ウェルビーイングの未来について議論しました。テーマは、beyond GDP時代のウェルビーイングの再定義から、AI、メンタルヘルス、教育、政策、ビジネス、サスティナビリティにまで及びました。

ハーバード大学メンタルヘルス教授・南アフリカ医学博士、経済学者・ベストセラー著者・サスティナビリティ社会起業家・省庁・Chief Wellbeing Officer・ウェルビーイング投資家などウェルビーイングリーダーが集った。

フォーラムを通じて得られた発見は、多様な文化のウェルビーイング観を取り込むことで既存のウェルビーイングの限界を超えられそうだということです。東洋の文化や先住民に残る智慧を、グローバルな政策立案に取り入れる必要性も感じました。

日本は急速な経済成長を遂げ、西洋諸国から先進国として認められた最初の東洋の国です。近代化した社会を持ちながら、思想や哲学が、日常生活や文化芸術を通して生き続けていることは、ユニークで価値のある点です。豊かな遺産を現代社会に活用する力は、ウェルビーイングの新時代を築く実践モデルになるでしょう。

日本が発揮できるリーダーシップは、経済優勢の文化と、伝統を色濃く受け継ぐ文化とを橋渡ししながら、幅広いウェルビーイング観を尊重する、そんなリーダーシップだと実感しました。

日本の強み:大地に根ざした精神性

禅を西洋に紹介した日本の哲学者・鈴木大拙は、日本の精神性を「大地に根ざしたもの」と表現しました。彼はこう書いています。「大地と自分とは一つのものである」「天は畏敬をもって敬われるべき存在であり、それなしに生命は存在し得ない。しかし、根は必ず大地におろさなければならない。天は敬うべきものであるが、大地は親しみ、愛するべきである。注1」

「自然」には、じねん、または、しぜんという読み方があります。本来の「じねん」は「あるがままに」という意味を持っていましたが、現代ではその意味が薄れ、発音も「しぜん」に変化しました。この変化により、言葉の意味も英語のnatureに近い解釈へと変わっていきました。

じねんは、人間を含むすべてが切り離せない形でつながっているという日本の精神性を表しています。しかし、多くの人が「自然が恋しい」「自然の中に行きたい」と言うように、現代では私たちが無意識のうちに自然から切り離されている感覚が広がっています。この「自然が恋しい」という思いは、私たちが本来は自然の一部であるというつながりを忘れてしまった証でもあるのです。

日本のレジリエンス(回復力):変化の激しい世界への教訓

この大地に根ざした精神性は、日本のレジリエンス(回復力)にも表れています。日本は長い歴史の中で自然災害を数多く経験してきましたが、それが独自の適応力と受容の文化を育んできました。例えば、軽量で再生可能な木造住宅を建設するという実践は、回復力の哲学を象徴しています。しかし、重要なのは物理的な建物そのものではなく、それを支える考え方です。急速で予測不可能な変化が当たり前となった現代社会において、変化を遅らせたり、抵抗したりするのは非現実的です。その代わりに、日本が示してきた「壊れたら直す」「機能しなくなったら認めて、迅速に適応する」といったアプローチは、今日さらに重要性を増しています。

こうした柔軟性を受け入れる姿勢、諸行無常を理解し、建設的に対応する精神は、世界的なウェルビーイングへの貴重な貢献の一つと言えるでしょう。それは単に困難を耐え忍ぶだけでなく、優雅に進化し、新しい価値を創り出す力を私たちに教えてくれます。

Zen Eating:つながりを思い出す道

私が提唱しているZen Eatingは、自分とのつながりと地球とのつながりを思い出す食べ方です。これは単なる健康食や食事の方法ではなく、大地や他者、そして自分自身とのつながりを取り戻す道です。Zen Eatingのワークショップに参加した多くの人々が、調和を感じたり、感情起因の食べ過ぎの悩みから解放されたりといった、変革的な経験談を語ります。

例えば、アメリカのある企業の管理職女性は、Zen Eatingを通じてストレスによる過食を克服することができたと語っています。体の感覚に再び意識を向けることで自分とのつながりを取り戻し、彼女は人生に喜びとバランスを再発見しました。それは、自分を追い詰めて頑張り過ぎる生き方から、命の循環に感謝をして受け取る生き方へのシフト、と言っても過言ではないと思います。このような体験談は、日本の智慧が普遍的な価値を持っていることを示しています。

拙著『食べる瞑想Zen Eatingのすすめ』より、5つの柱を紹介します。

  1. 食事で「調う」準備をする
  2. 五感で味わう
  3. おなかで選ぶ
  4. 食べ物から「エネルギー」をもらう
  5. 「手放し」で自由になる

Zen Eatingでは、食べ物が私たちの口に届くまでに関わった人々や自然の営みに思いをはせることを大切にしています。一粒のお米も種であり、命であることを思い出します。土や太陽の恵みを受けながら長い時間をかけて育った種と稲を想像します。その一粒には先祖がいて、命が連綿とつながってきた結晶であることにも思いをはせます。このように、食べ物を目の前にするだけで、私たちが命の循環に生かされていること(inter-being)を実感することができます。

この実践で、参加者は一時的な満足を超えた、深い充実感と満足感を得ることができます。Zen Eatingは刹那的な快楽から、持続可能なウェルビーイングへと移行する道を示し、生命そのものとの深い結びつきを育みます。

そして、このつながりの感覚こそが、食事前の「いただきます」に凝縮されているのです。

本記事の筆者がNew YorkでZen Eatingのセッションを提供する様子。口に入れたらすぐに噛まずに舌の上で食べ物を休ませたり、1口を3分かけて食べたりする。

論:条件付きのYes

日本は世界のウェルビーイングをリードできるでしょうか?その答えは条件付きのYesです。「いただきます」のような日常の実践や、つながりの哲学に根ざした日本の文化的智慧は、人類をより調和の取れた、そしてレジリエンスの高い未来へと導く可能性を秘めています。ただし、このリーダーシップを実現するには、日本人自身がまず、自国の精神性を含む文化的遺産を再発見し、その上で現代に適応させる努力が必要です。

世界が価値観を変え、新しい時代の方向性を模索しています。変化の時代における未来への芽吹きは、往々にして現代のメインストリームの外に秘められています。日本の哲学が持つレジリエンス、柔軟性、そして関係性の中で生かされているという「つながり」の価値観は、ウェルビーイングを重要視する新しい社会を形作る上で欠かせない要素となるでしょう。

読者の皆さんへ:食事の前に「いただきます」と言うとき、その意味について少し立ち止まり、思い出してみてください。この小さな感謝の行為が、周囲の世界とのより深いつながりへの第一歩になるかもしれません。

著者: Wellbeing Leaders Forum代表斎藤桃恵

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