日中戦争が激化した昭和13年ごろから、戦意高揚などのために国民への宣伝に「国策写真」と呼ばれる写真が利用された。戦後80年の今、戦時下の貴重な史料としてその価値が再認識される。
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海水浴を楽しむ女性たち。その姿は戦時下とは思えない余裕を感じさせる。こうした写真が、近代日本のイメージとして国内外に発信された =ドイツのグラフ誌「Stuttgarter Illustrierte Zeitung」昭和15年10月16日号掲載

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「一見、懐かしいスナップショットだが、掲載誌の内容や時代背景からすると、実際は微笑ましいものではない」。日本カメラ財団(JCII)で写真研究や作品展の構成などに携わってきた白山真理氏は説明する。

昭和12年に始まった日中戦争が激化した13年ごろから、戦意高揚などのために国民への宣伝に写真が利用されるようになった。こうした写真は「国策写真」と呼ばれ、グラフ誌「写真週報」が創刊された。

模型飛行機を手にした笑顔の少年たち。戦時下の文部省は、師範学校の先生を集めグライダーの作り方や飛ばし方を教える講習会を開催した。学校で飛行機について学んだ子供が航空産業の担い手となることが期待された =「写真週報」昭和15年4月10日号掲載(内閣情報部撮影)

何気ないスナップショットも周到な計算のもとに撮影され、戦時下の国民を誘導するような記事や見出しが添えられた。日本の写真界を支えた若き日の木村伊兵衛や土門拳などの著名なカメラマンたちも、国家総動員のもとに参加していた。

「興亜馬事大会」で日本橋高島屋前を行進する人馬の行列。靖国神社までの沿道は多くの人々で埋め尽くされた。大会は戦時下の馬事への認識を高めるため開かれた =「興亜馬事大会記念写真帖」掲載

国策写真は戦後、日本交通公社(JTB)に受け継がれた。国立公文書館に大半が移管されたが、JTBに残されていたモノクロフィルムが平成30年にJCIIに寄贈された。

ドイツのグラフ誌を読む女優の田中絹代。日独伊三国同盟が締結された昭和15年ごろに撮影されており、ドイツと日本の友好をアピールするために撮影されたと思われる (撮影者不明)

財団によると、現在も調査研究が進んでおり、戦前のネガが相当含まれていることがわかった。デジタル化も進めており、2万カットほどのデータ化が完了した。ネガやプリントは膨大で全容はまだ見えていない。

出征中の店主に代わり、仕事に励む少年。記事は戦地への手紙形式で書かれており、文末は「どうか御勇戦のほどひとへにお願ひ申しあげます」と締めくくられていた =「写真週報」昭和14年9月27日号掲載(内閣情報部撮影)

「このような貴重なネガを後世に残すためにも保存、調査研究、展示は大切だ」と白山氏は説明する。敗戦で一定の役割を終えた国策写真。しかし、戦後80年の今、改めてその価値を再認識すべきだろう。あの戦争を語りかけ、語り継ぐものとして。

東京市消毒所の回収物置き場。武器や弾丸などの製造に必要な資源を確保するため、官庁や公共団体が率先して金属類を回収した。鉄扉やレールなどの大物だけでなく、足袋の留め具「こはぜ」までも集められた =「写真週報」昭和16年4月23日号掲載
「笑和」特集号の表紙となった1枚。記事には「笑って働け」などと書かれ、戦時下の日常を前向きに過ごす「笑和」が推奨された =「写真週報」昭和16年4月2日号に掲載(内閣情報部撮影)

R筆者:関勝行(産経新聞写真報道局)

国策写真などの戦時下の貴重な史料は、「JTB旧蔵ストックフォトから見る日本 『示威と宣揚 戦中の国策写真1』」として、7月1日から、日本カメラ博物館(東京都千代田区)のJCIIフォトサロンで展示される。

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