
(左から)大碇を担いで海に身を投げんとする平知盛(吉田玉男)、今際の際の権太(吉田玉助)、義経から初音の鼓をもらい喜んで大空に駆けていく源九郎狐(桐竹勘十郎)=大阪市中央区の国立文楽劇場(二星昭子、柿平博文撮影)
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春の訪れとともに咲き誇り、人々の心を華やかに染め上げる桜。美しい盛りに散る潔いはかなさに、古(いにしえ)から日本人は心を寄せてきた。血で血を洗う源平合戦の中に咲いた悲劇の英雄、源義経を桜に例え、その木を3人のヒーローで彩った時代物の傑作「義経千本桜」が4月30日まで、大阪・国立文楽劇場で上演されている。同劇場では21年ぶりとなる初段「仙洞御所の段」からの通し上演で、名場面を抜き出して上演する普段の公演とは違い、長編作品ならではの壮大な人間ドラマの渦を目撃できる。
「義経千本桜」は延享4(1747)年に人形浄瑠璃で初演された。ファンタジーも交えて史実を大胆に脚色した全五段構成で、全段を1日で通すと朝から晩まで約12時間かかる大作だ。今回は初段から四段目までを3部制で上演している。

1部(初段、二段目)のヒーローは平家の武将、平知盛。壇ノ浦の戦いで幼い安徳帝の入水を見届けて自らも海中に沈んだとされるが、実は安徳帝を守り生きていて―というストーリーだ。
廻船(かいせん)問屋の主人、銀平と身分を偽り、兄の頼朝に追われる身となった義経を狙う、すさまじい執念を描く。義経の思いに触れ、悔いなく死に向かう誇り高き知盛を、人形遣いの吉田玉男(人間国宝)が豪快に、厳かに演じている。
2部(三段目)は奈良・吉野の小悪党、いがみの権太が主役。褒美の金欲しさに、父がかくまう平維盛の首と妻子を鎌倉方の梶原景時に渡し、激怒した父に刺される。瀕死の権太が語る真実が切ない。吉田玉助が遣う権太は子供のまま大きくなったようなわがままな愛嬌があり、後の悲劇を際立たせる。

3部(四段目)のヒーローは義経の忠臣、佐藤忠信に化けた源九郎狐(ぎつね)だ。
両親の皮で作られた「初音の鼓」を追って、鼓を持つ義経や愛妾(あいしょう)の静御前に近づいたという身の上話が、親兄弟との縁が薄い義経の心を打つ。狐の神通力を表現する早替わりや宙乗りなどの派手な演出も楽しい。
竹本千歳太夫と三味線の豊澤富助による情愛ほとばしる語りが、当代一の狐遣い、桐竹勘十郎(人間国宝)の源九郎狐をより躍動的に輝かせている。

名場面を抜き出す形での上演では、タイトルになっているにもかかわらず義経は脇役にしか映らない。通しで見て初めて、「強く優なるその姿、一度に開く千本桜」と評される義経という魅力的な存在が物語の幹なのだと気付く。
武将の知盛や源氏でも平氏でもない庶民の権太だけでなく、罪なき女性や若者が大事の命を散らす。義経の苦悩や彼らの咲き散る姿を見ていると、欲望が生んだ戦が残すむなしい悲しみを思わずにはいられない。
筆者:田中佐和(産経新聞)
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