80年前の昭和20年8月6日に広島へ、9日には長崎へ、米軍が原子爆弾を投下した。人類史上初めての原爆による攻撃で、おびただしい数の人々が命を奪われた。
Hiroshima cenotaph

広島市中区の平和記念公園。米軍による原爆投下から6日で80年となる=8月4日午後

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80年前の昭和20年8月6日に広島へ、9日には長崎へ、米軍が原子爆弾を投下した。

人類史上初めての原爆による攻撃で、おびただしい数の人々が命を奪われた。かろうじて生き残っても原爆症で苦しみ、亡くなった人は多い。そのほとんどは、高齢者や女性、子供を含む非戦闘員だった。

東京大空襲と並ぶ大量殺戮(さつりく)であり、許される話では決してない。戦後80年の原爆の日に、犠牲者に改めて心から哀悼の誠を捧(ささ)げたい。

1945年10月の広島

核兵器廃絶は悲願だが

広島の原爆ドームや原爆資料館へ足を運び、悲惨な被害の実相の一端に触れれば涙がこみあげてくる。原爆死没者慰霊碑の前で頭(こうべ)を垂れれば、平和記念公園の一帯が厳かな「聖地」だと感じられるはずだ。これは長崎でも同じである。

このような兵器が二度と使用されないことを願っている。核兵器のない世界の実現は、日本人の悲願だろう。

昨年12月に、核兵器廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したのは喜ばしいことだった。

被団協が被爆体験を語り継ぎ、核兵器のない世界を目指してきたことが評価された。ノーベル賞委員会は、「被団協と被爆者の並々ならぬ努力は(核兵器を使用してはいけないという)『タブー』の確立に大きく貢献した」と称(たた)えた。

悲劇的な被爆の実相を日本のみならず世界の人々へ伝え、核兵器の使用をためらわせる空気を広めていく努力は大切だ。

Rロシアのプーチン大統領(右)と、助手席に座る北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記=2024年6月20日(朝鮮中央通信=共同)

ただし、指摘しなければならないことがある。

それは、核兵器禁止条約への加盟など「核抑止」を全否定するような行動を、日本政府の外交安全保障政策に適用してはならないということだ。

日本人は、通常戦力の分野では抑止力の意義を認めているが、核抑止の大切さには気づいていない。実に危うい話だ。

再び核兵器が日本国民の頭上で爆発することを絶対に阻止しなければならない。核兵器の即時廃絶を求める取り組みだけでは、広島、長崎のような惨禍を防げない厳しい現実がある。

日本は中国、北朝鮮、ロシアという、核武装した反日的な専制国家に囲まれている。日本は今この瞬間も核の脅威にさらされている。

ウクライナを侵略中のロシアは核恫喝(どうかつ)を重ねている。北朝鮮は核・弾道ミサイル戦力の強化に走り、日本列島越えのミサイル発射や、対日核攻撃の脅しをしたことがある。経済大国となった中国は米国が脅威を覚えるほどの核戦力強化を進めている。核廃絶を願う人々の声は、これら専制国家の独裁者には届かない。

国民を守る義務がある

核保有国のインドとパキスタンの武力衝突があった。イラン核武装を懸念するイスラエルと米国は、イラン核施設へ攻撃を加えた。

米国、ロシア、中国という核大国が三すくみとなりつつある今、核拡散防止条約(NPT)が課す軍縮はますます難しくなっている。核兵器禁止条約に署名した核保有国はない。

仮定の話だが米国や英国、フランスが核兵器を一方的に放棄すれば、日本を含む世界は専制国家の思うがままにされてしまう。全核保有国が放棄しても、ひそかに核兵器を持つ国や勢力が現れれば万事休すとなる。

現代の科学技術では、核攻撃を防ぎきる術(すべ)はない。核兵器による攻撃や脅しから国民を守るには、自国または同盟国の核兵器を核抑止力として用意するしかない。

石破茂首相

Dそこで1億2千万の国民を守る義務を負う日本政府は、自民党政権であれ民主党政権であれ、米国の「核の傘」を利用する防衛政策をとってきた。広島、長崎への原爆投下に対する日米の見方は異なっても、日本の独立と繁栄、国民の自由を保つために同盟国米国の「核の傘」は必要なのだ。

佐藤栄作内閣以降、日本が非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)を掲げられたのも、米国の「核の傘」がセットで存在したからだ。

中国や北朝鮮の核戦力増強や米国の内向き志向で、この「核の傘」が破れ傘になっていく恐れが出てきた。それに対処する「核の傘」の強化や核共有の議論は急務だ。核抑止から目を背けないことが、日本と国民を核の惨禍から守る道である。

2025年8月6日付産経新聞【主張】を転載しています

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