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能登半島沖地震から1年を迎えた2025年1月1日。大きな被害を受けた生まれ故郷の石川県珠洲市で、炭焼き職人の大野長一郎さんは家族と一緒に静かに黙祷した。
「想いは複雑です。未来を描くことが難しい人たちもいる」と大野さんは語る。
大野さんは、製炭工場「ノトハハソ」の代表として植林と炭焼きで里山の自然資源や景観を維持、集落の活性化をはかってきた。しかし、1年前の地震で4基の窯は全壊してしまった。窯が地震で壊れるのは3回目だ。大野さんは心が折れそうになったが、再起に向けて走り出している。生産性が上がり、強い金属製の窯に変え、土砂崩れの恐れもあることから工場を移転するためのクラウドファンディングを開始、支援を募っているところだ。
「高齢化、人口流出が進む地域で地震、豪雨という多重災害を受けた。被災家屋の解体は進んでいるが人の流出が進む。誰もいなくなることにならないか」と焦燥感を吐露した。
私たちJAPAN Forwardは2024年9月、国の特別天然記念物トキの石川での放鳥に向けて準備していた被災地の復興状況を取材に行った。しかしその日、100年に1度といわれる豪雨に見舞われ、現地到着直前で避難することになり、大野さんとは会えなかった。その大野さんから届いたメッセージは重かった。
「国に言いたい。我々地方は、第一次産業で都会を支えてきた。災害前から高齢化、人口減少という社会課題が山積するこの地で生きている我々に、住んでいいんだよと示してほしい。復旧後の復興の道しるべが必要です」
トキが再び舞う空へ
石川県は、本州最後のトキが生息していた地だ。国は激減するトキを保護するために石川に生息していた野生のトキを捕獲して、新潟県佐渡島に送った。しかし、努力もむなしく2003年に日本産のトキは絶滅してしまう。その後、中国から贈られたトキを増やし放鳥、日本で唯一、佐渡島で野生復帰を進め、今では約500羽まで増えた。国は佐渡だけではなく、本州での初放鳥を目指している。石川はその候補地になっていた。
トキが日本で絶滅したのは、農薬の使用や環境の悪化でエサとなる虫など小動物が減ったことなどが要因だ。放鳥を成功させるには、減農薬などの環境づくりが必要だ。地震で協力していた能登の農家の田んぼも被害を受けた。しかし、トキ放鳥をあきらめる地域はなく、取り組みを続けていくことになった。
私たちは今回の取材で、石川でトキの復活を目指して72年にわたって活動を続けている羽咋市の村本義雄さん宅も訪れた。村本さんは今年4月26日で100歳になるが、その想いは熱い。
実は、村本さんと私の両親は同郷だ。約15年前、両親と石川に帰郷した時に村本さん宅でトキの保護活動を取材したことがあり、久しぶりの再会となった。村本さんは、以前にはなかったが、トキが生きていく環境づくりには子どもたちの理解が必要と敷地に私費でトキの資料館を開設していた。
「生きている間に、トキが能登の大空を舞うのをこの目で見届けたい」と話す。
「夢」「レジリエンス」を信じて
取材では、七尾市の約100年続く老舗のしょうゆ店「鳥居醤油店」も訪れた。作業場が被害を受けたが、手作りのしょうゆを待ち望む声に励まされ、昨年12月には大豆を蒸す窯に火を入れ、本格的な仕込みも再開した。
オーナーの鳥居正子さんは「生業を続けることが大事。しょうゆの原料の大豆を買うことが珠洲の応援にもなる」と話す。
「世界最高のジェラート職人」として表彰された、能登町のマルガージェラート店オーナー、柴野大造さんは、2024年10月にシンガポールで開かれたジェラートのワールドカップアジア予選に日本代表として出場して優勝した。「作品には能登の塩を使っている。復興半ばですが、地元出身者として2026年にイタリアで開かれる決勝で、アジア初の金メダルをとりたい」と語った。
地震、豪雨という多重複合災害に襲われた能登は、私の両親が生まれ育った地だ。冬の厳しさに耐えているからなのか、北陸の人たちは忍耐強いと言われる。取材に応じてくれた人たちもどんなにつらくても踏ん張って再起を語ってくれた。
村本さんは、2025年の宮内庁の歌会始に応募した。今年の和歌のテーマは「夢」。入選はしなかったが、その歌を子どもたちに披露したいという。
「いろんなことがありましたが、トキと子どもたちに夢を託したい」
村本さんの100歳の夢。そして石川の復興を進めるための我々の責任は重い。
筆者:杉浦美香(Japan 2 Earth編集長)
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