
にぎわう銀座の街並み=昭和37年(1962年)3月
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世界経済の混乱や台湾有事の懸念など内外情勢は厳しい。そのようなときである今、激動の時代だった昭和を振り返る意義は大きいといえる。
4月29日、昭和の日を迎えた。昭和天皇の誕生日にちなむ祝日で、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と祝日法に定められている。

今年は昭和改元から100年の節目である。今や日本人のほぼ3人に1人は平成以降の生まれだが、祖父母や父母、親戚から、当時の様子を聞いてみてはどうだろう。激動の時代を生きた人々は、若い世代に自らの体験を語り継いでほしい。

昭和は初めから苦難に見舞われた。2年の昭和恐慌、4年の世界恐慌である。
昭和戦前期から日本は経済成長を始めていたが、高関税で植民地を囲い込む米英などのブロック経済に悩まされた。日中戦争や先の大戦(大東亜戦争)など戦いが続いた。

自存自衛と欧米植民地主義からのアジア解放を旗印に当時の国民は懸命に戦ったが、310万人を喪(うしな)い、20年8月に敗戦を迎えた。政府が判断停止に陥る中、戦争を終わらせたのは、昭和天皇のご聖断である。
日本の歴史上初めて外国に占領された苦難は、27年4月に主権を回復することで終わった。平和国家を目指した日本は奇跡と呼ばれる高度経済成長をとげ、43年には国民総生産(GNP)が51兆円に達し、西側世界第2位の経済大国となった。50年にはアジアで唯一、先進国首脳会議(サミット)の一員になった。
昭和の戦争と経済成長はさまざまな評価が語られてきたが、世界の人種差別撤廃に果たした役割は想像以上に大きい。

昭和天皇は常に国民と苦楽を共にされてきた。敗戦間もない21~29年には、国民を直接励まそうと全国を巡幸された。昭和天皇は各地で国民から熱狂的に迎えられ日本の絆は強まった。天皇、皇室を中心に国民が力を合わせて危機を乗り越える国柄が昭和でも発揮され、現代にいたっている。

政府は来年、昭和100年の記念式典を開催する。昭和天皇の遺徳をしのび、先人たちに感謝し、日本の団結を強める式典になるよう、準備を進めてもらいたい。
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2025年4月29日付産経新聞【主張】を転載しています
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