登呂遺跡の復元された建物群と水田=静岡市駿河区(青山博美撮影)
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多くの歴史資産が残る静岡市。徳川家康や今川義元ゆかりの城跡、寺社などはよく知られているが、市内にはそれらよりもはるかに古い、古代の史跡も点在する。中でも日本考古学の金字塔と呼ばれ、国の特別史跡に指定されている約2000年前の弥生時代後期の集落跡「登呂遺跡」は、遺跡全体で弥生時代の姿を再現するとともに、当時の生活体験を楽しむことができる歴史公園として整備、公開されている。
体験コーナーも用意
JR静岡駅から南東方向に約2キロ。登呂遺跡は静かな住宅地の中にある。
敷地内には、当時の住居や高床倉庫、祭殿などを復元した集落などとともに、南側の入り口付近には国の重要文化財に指定された発掘調査の出土品775点を所蔵する静岡市立登呂博物館がある。

「ここでは所蔵品の中から400点ほどを常時展示しています。約2000年前の木製農具や住居、倉庫などに用いられた柱やはりといった貴重な文化財が見どころです」
案内してくれたのは、同博物館の主任主事、松原草太さん。こうした展示コーナー「常設展示室」が博物館の2階部分に広がっている。松原さんはこうした出土品の実物展示と並び、1階部分に展開する体験コーナー「弥生体験展示室」が看板スポットだという。

この展示室には出土品のレプリカが並び、手に取ったり、これらを使った作業や生活が体験できるよう工夫されている。「ここは子供たちに人気ですが、大人にとっても当時の生活がイメージしやすいと好評です」(松原さん)という。
水田では赤米を栽培
登呂遺跡は先の大戦中の昭和18年、軍需工場を建設する際に発見された。学会から注目されたことから短期間ながら調査も行われたという。

本格的な調査は戦後の22年から。大量の土器や木製品が出土し、住居や倉庫跡などの居住域が水田域と一体になっていることが確認された。
「弥生時代といえば水田稲作」というイメージは、この登呂遺跡の調査が契機になったとされている。そんなこともあり、遺跡の敷地内には住居跡に隣接して水田も復元されている。

「毎年、この水田で実際に稲作をしています。古代米の赤米を作りますが、春には田植え体験、秋には収穫体験といったイベントも実施しています」(同)
これ以外にも、博物館では木工体験やしめ縄づくり、土器づくりなどの催事を定期的に開催。弥生時代を身近に感じられる体験の提供に力を入れている。
農耕の重要性学ぶ
登呂遺跡は、その後の調査で2回の水害に襲われていることがわかった。当時の住人たちは、そうした災害を受けてここでの生活をあきらめ、転居していったと考えられている。定住して農耕を本格化させた弥生人にとっては、農耕の継続は集落の存続に関わる一大事だったのかもしれない。
折しも日本はコメ不足で価格も高い。カロリーベースの食料自給率は40%を下回る状況が続いている。登呂遺跡からは、今につながる日本人の生活と農耕の起源を思い、激甚化する災害や社会の未来に思いを巡らせることの大切さが感じられた。
筆者:青山博美(産経新聞)
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■登呂遺跡 約2000年前の弥生時代後期存在した集落跡。住居域と水田域が一体で確認され、この調査をきっかけに日本考古学協会が発足したことから、〝戦後考古学の出発点〟〝日本考古学の金字塔〟などともいわれる。アクセスは、JR静岡駅南口からバスで10分。車の場合は東名高速道路静岡インターチェンジから10分。隣接する静岡市立登呂博物館は、開館時間が午前9時から午後4時半まで。常設展や企画展の観覧料は一般が300円、小・中学生が50円など。問い合わせは電話054-285-0476まで。
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