
全米オープンテニス車いすの部男子シングルスで優勝し、トロフィーを手に笑顔の小田凱人=9月6日、ニューヨーク(共同)
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史上初の快挙も通過点でしかない。胸に抱く夢や使命感は、さらに大きい。
小田凱人が全米オープンテニス車いすの部の男子シングルス決勝で激闘を制し、史上最年少の19歳で、四大大会とパラリンピックを全制覇する「生涯ゴールデンスラム」を達成した。
10代で最後となるチャンスだった偉業達成を公言して臨んだ大会だった。名前に凱旋(がいせん)門の1文字がある小田はパリのパラ大会の開会式でも「運命が描いた台本をこなす」とコメントし、金メダルを獲得した。彼の有言実行を支えているのは、妥協のない練習量と、「格好のいい存在でありたい」と後進の希望であり続ける決意である。

小学3年の時に骨肉腫を発症し左足の自由を失った。サッカー選手の夢を失った小田は2012年、ロンドンのパラ大会の車いすテニスで優勝した国枝慎吾選手の雄姿に新たな希望を得た。以来、国枝氏の背を追い続け、男女シングルスで3人目、日本では国枝氏に続く生涯ゴールデンスラマーとなった。
かつて男子テニスのトッププロ、ロジャー・フェデラーは日本人記者から「なぜ日本から世界的な選手が出ないのか」と聞かれ、「クニエダがいるじゃないか」と答えた。
それは欧州に比べ、日本での障害者スポーツに対する認知度の低さも意味した。

だが偉大な競技者であり続けた国枝氏や、9月5日に亡くなったパラ大会の競泳で15個の金メダルを獲得した成田真由美さんら先人の活躍が見る人の意識を変え、アスリートとしての地位を高めてきた。小田の快挙や同じ全米オープンの車いす女子シングルスで3度目の優勝を果たした上地結衣の活躍も、その延長上にある。

勝ってなお、会見での小田は少し不満そうだった。決勝のコートは観客席の少ない、小さな会場だった。「(大観衆を収容する)スタジアムでやりたい。お客さんに楽しんでもらえる自信はある」
パラスポーツをもっと認知させたい。車いすテニスをもっと多くの人に見てもらってファンを増やしたい。日本における野球のような人気競技にしたい。そんな使命感を抱く。彼なら、と期待は膨らむ。それほど小田の試合は見ていて楽しく、スリリングで、興奮する。
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2025年9月9日付産経新聞【主張】を転載しています
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