有本恵子さんの写真を見ながら思い出を語る(写真左から)明弘さんの長女の北谷昌子さん、次女の有本尚子さん、四女の有本郁子さん。昌子さんと郁子さんが家族会入りし、三女の恵子さん奪還を訴えていくことになった=16日、神戸市長田区(南雲都撮影)
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北朝鮮による拉致被害者家族が、10月27日に来日したトランプ米大統領と28日に面会する見込みとなっている。トランプ氏は過去2度の来日でも家族と会い、協力姿勢を示してきた。有本恵子さん(65)=拉致当時(23)=の父で、2月に96歳で亡くなった明弘さんには手紙を送って激励。今回の面会に参加予定の恵子さんの姉妹は、「父に寄せてくれた思いに、感謝の気持ちを直接伝えたい」と心待ちにする。

「ええ人生やった」有本明弘さんの生涯
「ええ人生やった」
2月15日に息を引き取る数日前、孫らが神戸市内の自宅を訪れると、明弘さんはそうつぶやいた。衰弱が進み、食事もほとんどできず、死期を悟っていた。
「同じ言葉を、うちの母親も亡くなる直前に話していました」。長女の北谷昌子さん(69)は、母の嘉代子さんが令和2年に死去した際のことを振り返る。いずれも本心からの思いだったと感じているが、「そばに恵子がいたら、パーフェクトだった」。そう言って目頭を押さえた。
三女の恵子さんは昭和58年7月に拉致された。同年5月末ごろ、留学先のロンドンで、よど号乗っ取り犯グループのメンバーの元妻が恵子さんに接触。その後、デンマークで合流した工作員らが北朝鮮へ連れ去った。
四女の有本郁子さん(64)は元妻が恵子さんに近づく直前、5月の大型連休期間に旅行でロンドンを訪れた。「姉は電車を乗りこなし、観光地やおいしいレストランに連れて行ってくれた」。約1週間の楽しい思い出。だがそこから、時間は止まってしまった。
昌子さんは同時期に「9月に子供が生まれるから。日本で会えるね」という手紙を恵子さんへ送っている。その子は今年、42歳になった。

「平壌にいる」届いた手紙
63年9月、恵子さんと同じく欧州で拉致された石岡亨さん(68)=同(22)=から、恵子さんらと「平壌で暮らしている」と記された手紙が石岡さんの札幌の実家に届く。所在が分かり、明弘さんと嘉代子さんは気持ちを奮い立たせた。
上京して国会議員や外務省、警察庁などを訪問。手紙の存在を伝えて救出を求めた。だが、ほとんどが「北朝鮮とは国交がない」などと真剣に取り組むことはなかった。平成9年に家族会が発足する前、世間の空気は拉致に無関心だった。
14年の日朝首脳会談で北朝鮮は日本人拉致を認めたが、恵子さんについては「ガス中毒で死亡」などと主張。客観的な証拠は一切なく、夫妻は声を上げ続けた。
北に「あきらめた」と思われてはいけない
2017(平成29)年に米大統領に就任(1期目)したトランプ氏は、安倍晋三首相(当時)の協力要請を受け、18~19年の米朝首脳会談で金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長(同)に拉致解決を提起。期待感を高めた明弘さんは令和元年5月、トランプ氏に引き続きの後押しを要望する手紙を送った。
すると6月、トランプ氏から「あなたのために全力を尽くしている。あなたはきっと勝利する」と返事が届く。明弘さんは涙を流して喜んだ。
「日本はどうなっとるんや」。明弘さんと嘉代子さんは子供たちに怒りをぶつけることもあった。ただ、救出運動に関わらせようとはせず、郁子さんは「自分の人生を歩んでほしいと考えていた」とおもんばかる。しかし、明弘さんが亡くなってからほどなく、姉妹は家族会入りを決意した。

「北朝鮮に『あきらめた』と思われるわけにはいかない。私たちは恵子の生存を信じ、いつまでも待っている。その意思を示さなければと」。姉妹はそう口をそろえる。
28日予定の面会ではトランプ氏からの手紙を持参するつもりだ。昌子さんは「本来、この問題は日本が解決するべきもの」としたうえで、「米国の支援は必要。手紙への感謝に加え、私たちが遺志を継いだことも伝えて力添えをお願いしたい」。
筆者:中村翔樹(産経新聞)
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