1945年8月14日に発生した葛根廟事件は、満洲国の興安街から避難行動中の民間人がソ連軍の戦車部隊に襲撃され1000人以上が虐殺されたものである。生存者も自決や再び襲撃されるなど、惨劇は終戦後も続いた。
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大東亜会議に参加した各国首脳

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筆者は本年も8月14日、葛根廟(かっこんびょう)事件犠牲者の慰霊のため東京都目黒区の五百羅漢寺に向かった。大東亜戦争末期の昭和20年8月、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連は満洲・樺太・千島の3方面から侵攻、同月15日の終戦後も、侵略が止(や)むことはなかった。8月14日に発生した葛根廟事件は、満洲国の興安街から避難行動中の民間人約1300人がソ連軍の戦車部隊に襲撃され1000人以上が虐殺されたものである。生存者も自決や再び襲撃されるなど、惨劇はやはり終戦後も続いた。

筆者は本年の8月15日を迎え、80年前のこの日に戦争が終わったのだという感慨よりも、「終戦」のはずの日を過ぎてもなお、ソ連が大日本帝国領を蹂躙(じゅうりん)し続けていたのだという思いが先行する。麻田雅文成城大学教授によると、終戦後も含めたソ連軍との交戦での日本軍戦死者は3万人を確実に超え、民間人死者は約24万5千人に及ぶという(『日ソ戦争』)。

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筆者:久野潤(日本経済大学准教授)

2025年8月27日付産経新聞【正論】より

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