高知の踊りYOSAKOI(よさこい)が55年ぶりに大阪で開かれている大阪・関西万博に帰ってきた。踊りを通じた世界交流の場となった。
Yosakoi (8)

55年ぶりに万博に戻ってきたYOSAKOI(杉浦美香撮影)

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海外で34の国・地域に広がっている高知の踊り「YOSAKOI」が8月22、23の両日に、大阪・関西万博会場で「WORLD YOSAKOI DAY」として披露された。1970年に開催された大阪万博がきっかけで広がった「YOSAKOI」が再び大阪の地に戻った。

はじけるエネルギー

万博最大のイベント会場「Matsuri(まつり)」の舞台上と、会場を練り歩き踊りが披露された。

参加したのは国内外の17チーム。8月9~12日に高知市で行われた「よさこい祭り」の受賞チームやベトナムなど海外のチームも3組参加した。

衣装も艶やかだ(杉浦美香撮影)

集団で鳴子を鳴らしながら、前へと進んでいく。衣装の早変わりもあり、エネルギッシュなダンスに会場は大きく沸いた。

戦後復興が目的

よさこいは、太平洋戦争の空襲や地震で被った経済不況を吹き飛ばし、復興を願って昭和29(1954)年から始まった。

子供たちもよさこいに参加した(杉浦美香撮影)

「隣の徳島県で行われている阿波踊りに負けないようにしよう」と土佐民謡「よさこい節」を元に作曲・編曲した武政英策(たけまさ・えいさく)のアイデアで、素手ではなく、田で鳥を追い払うのに使われていた「鳴子」を使うのが大きな特徴だ。

原点よさこいについて説明する高知県日本舞踊協会(杉浦美香撮影)

1970年ごろから踊りが変化し、サンバ調やロック調で曲をアレンジして、衣装や踊りも派手になった。高知のよさこい祭りは例年、8月9~12日に行われ、約100万人が訪れる。

1992年には札幌で「YOSAKOIソーラン祭り」が始まり、今や全国200カ所、海外30以上の国・地域で踊られるようになっている。

広がりは55年前の万博がきっかけ?

よさこいの知名度があがったきっかけは55年前の昭和45(1970)年、大阪で開催された万博だ。このとき、第1回よさこい祭りで披露された「原点のよさこい」と言われる「よさこい鳴子踊り」が披露された。YOSAKOI DAYでも、最初に高知県日本舞踊協会「よさこい鳴子踊り」が披露された。

ノリノリのベトナムのチーム(杉浦美香撮影)

大阪・関西万博ではベトナムからも2チームが参加していた。ベトナムでよさこいが披露されたのは2007年、ハノイの日本語学校の文化祭だったという。翌2008年、ハノイでチームが組まれ、ベトナム国内でもよさこい祭りが開催され、日本とベトナムの文化交流を深めてきた。

旗を担当していたハノイ在住のグェン・チャン・トウさんは「チームになってみんなで踊るのがとても楽しい」と話す。大学生のベトナム人女性は「高齢者も子供も一緒に踊ることができ、よさこいはベトナムでとても人気です」と語った。

旗を担当していたグェン・チャン・トウさん(杉浦美香撮影)

濵田省司(はまだせいじ)知事は「高知は、日本のラテンと言われるほど陽気。型にはまらず、前へ前へと進み、自由に踊ります。(1970年の大阪万博から)55年の時を経て、再びよさこいを踊り、世界に発信できてうれしい。世界につながることは重要だ」とよさこいの意義を語った。

よさこいが大好きというベトナムのチーム(杉浦美香撮影)

KOCHIつながりでインドとダンス交流

万博のインドパビリオン(バーラト)では、インド南西部に「KOCHI」という市があることから「2つのKochi-DAY」として、よさこいとインドのカタカリダンスが披露された。シビ・ジョージ駐日インド大使がKOCHI出身であることから実現した。

インドパビリオンで披露された原点よさこい(杉浦美香撮影)

日本着任から約3年にわたって全国47都道府県を訪問したジョージ大使は「私の出身地であるKochは美しい港町だ。2つのKochiとも自然との共生を大事にしており、連携を深めていきたい」と語った。

記念撮影する濱田知事とジョージ大使(杉浦美香撮影)

濱田知事は「(高知とKochiは)古くから海を通じてつながっていた」としたうえで、高知インド友好協会が2003年に設立されたことに言及、ダンスを通じた文化交流に期待を示していた。

インドのカタリダンス(杉浦美香撮影)

踊りに言葉の壁はない。万博を舞台に55年の時を経て、パワーアップしたよさこいが世界につながった。

筆者:杉浦美香(Japan 2 Earth編集長)

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