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JAPAN Forwardに「アトリエ談義」を連載中の洋画家で、浮世絵研究家・コレクターの悳俊彦氏が、第15回国際浮世絵学会賞を受賞した。受賞理由は、「まだ評価、注目の浅かった歌川国芳の魅力にいち早く着目し、半世紀以上にわたり収集した一大コレクションは、幕末、明治の希少な絵師、作品をも網羅、その発掘に対する功績は大きく、それをもとにした書籍も多数刊行し、浮世絵の普及、啓蒙に貢献した」としている。
JAPAN Forwardは、6月にズーム(ウェビナー)で行われた悳氏の記念講演を紹介する。以下、講演の抜粋。
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私の本職は画家で、浮世絵は、趣味として収集してきたにすぎません。ですから、この賞をもらっている友人たちを、私は誇りに思っていたくらいなのです。その賞が今回、なぜ私のところに転がり込んできたのか、びっくりした次第です。
そこで規約を見たところ、この賞は、「収集家や浮世絵を愛する人たちにも与えられる」とあったので、納得したという訳なのです。
又、うがった見方をすれば、私がもらったのではなく、私のコレクションがもらったと云えるかも知れません。
下手な前置きはこのくらいにして、「講演」ではなく、「コレクター談義」ということで、お聞き頂ければ幸いです。
まず、これまでで、最も思い出深い作品をご紹介します。
「勇国芳桐対模様」です。
この作品の図版が、一番最初に紹介されたのは、昭和三年の雑誌、「浮世絵」の第4号と思われます。それは、国芳の門人であった、一好斎芳兼の所蔵になるものです。
しかし、その図版は単色で、題名も不鮮明なため、「祭礼余興」という、仮の名になっており、その現物も、震災で焼失してしまいました。
この貴重な図版が残ったのは、アメリカの人類学者、スタール博士が芳兼宅でこの作品の写真を撮っていたからなのです。
又、他の「勇国芳桐対模様」の図版が、昭和五年発行の「国芳版画傑作集」に載っていますが、やや後摺りのようです。
この2点の図版が紹介されたあと、この作品は、なんと百年近くも紹介されることなく、戦後に相次いで開催された国芳展にも出品されることはありませんでした。
ところが、ある日のこと、私が新宿のデパートの古本市で、何気なく会場の壁に目をやると、そこには、極彩色の「勇国芳桐対模様」があったのです。私はびっくり仰天しました。しかも、台紙に無造作に貼られ、画鋲で止められ粗末な扱いでした。値段も、貧乏画家の私でも買える安さでした。
ところで、この国芳一門の極彩色の晴れ姿は架空の情景で、実際には幕府の禁令のため、白木綿に墨一色で柄を描いて、祭に参加したと伝わっています。その無念さを晴らすために描いたのがこの作品です。
版元はありますが、自費出版に近い作品なので、ごく僅かしか擦られていないと思われます。初刷りは、すでにお話ししたように、弟子の芳兼宅にあったものが、震災で焼けてしまったので、現在は悳コレクションのものだけと思われます。後摺りのものも、今のところ、国内では一点だけ確認しているのみです。
次に、悳コレクションの中から17点ほど、紹介していきたいと思います。
少し地味になりますが、まず、画稿と版下絵です。
私も画家なので、作品を生む苦しみは味わってきました。したがって完成された錦絵だけではなく絵師の、完成に至る苦労の過程にも大変興味があります。そこで画稿や校合刷り、版下絵なども収集してきました。
今、お見せしているのは、芝居のスケッチを集めたもので、国芳の勉強ぶりが分かる良い資料だと思います。
尚、次にお見せするのは、このスケッチから抜き出して作品化した、大変ユニークなシリーズ、「人物紙屑籠」です。
次は役者絵の画稿です。
一枚の作品にも、いかに苦労をしているかを物語る画稿です。顔に薄美濃を貼っては幾度も書き直しているのがわかります。
次は完成に近い画稿と版下絵、「誠忠義士肖像」をご紹介しましょう。
この画稿と版下絵の2枚は別々に手に入れたものです。始めは画稿だけを持っていたのですが、その後、海外から里帰りした同じ図の版下絵にも運よく出会い、そのおかげで価値のあるセットになりました。
次は、国芳塾に置いてあったとされる、門人たちの為のスクラップ帳を紹介します。
こうしたものが、国芳塾には数冊あったと云われています。表紙の左下には「持ち主 芳員」と書かれています。
題名の、「逢武草紙(あうむぞうし?)」は、当て字ですが「オウムのように繰り返し真似る」という意味で、芳員がつけた思われます。
そこには、国芳が描いたと思われる下絵や、
校合摺り、武者絵、風俗画の切れ端、
国芳の絵草紙の表紙、それから、武者絵を得意とした国芳塾にふさわしい、武器や武具の図が貼られています。
次は版木を紹介します。
墨で真っ黒ですが、黒光りしていてなかなか美しいものです。この完成図は、国芳一門の合作による「七福神の図」です。幸いなことに浮世絵大成の第十一巻に出ていたので紹介します。
さて、ここからは、錦絵の初期の作品から紹介して行きたいと思います。
これは「大山石尊良弁滝之図」です。
国芳若描きの作品ですが、群衆一人一人が生き生きと描かれており、その完成度の高さには驚かされます。
尚、この画面右端の「一勇斎国芳画」の落款枠を抱えている男は、国芳自身という見方もできるでしょう。
さて、この作品は他の二作と共に、国芳の初の大ヒットとなったのですが、ここから約十年不遇の時代が続きました。
しかし、やがて通俗水滸伝豪傑のシリーズで本格的デビューを果たします。その中から2点、ご覧いただきましょう。
イケメンの代表「九紋龍史進」。
大変人気があるのはこの九紋龍ですが、次に見ていただくのは、悪役代表の「花和尚魯知深」で、私の大好きな一枚です。
画面ごしには伝わりにくいかもしれませんが、彫りと摺りの見事さが群を抜いています。
次は国芳の子供絵の中から特に私の好きな作品をご紹介します。
「子供遊び土蔵之棟上」です。
国芳は、子供見立てによる作品を多く描いてます。あえて複雑な足場の組まれた棟上に子供の様々なポーズを絡ませた、国芳の心意気を感じさせる作品です。
私は国芳の戯画も好きで収集してきました。次にご覧いただくこの作品には題名も無く、上下も決まっていません。
つまり国芳はこれまでに例のない、上下不明の浮世絵を目論んで江戸の人々をけむに巻いたのでしょう。
尚、国芳の弟子、芳虎も似た図を画いていますが、「上下見図」と、文字を入れた為、上下が決まってしまい少しも面白くありません。
この作品は神田の古書会館で掘り出した珍品で、普通なら高価でとても手が出なかったでしょう。
次は、国芳のユーモアのセンス満載の3枚続きをご覧いただきます。
「江州坂本入江の浪士白狐にたぶらかさるゝの図」。
この作品は、岡田玉山による単色の挿絵から着想を得ていますが、いつまで見ても飽きることのない楽しい作品です。この絵には、私の下手な説明はいりません。しばらく絵をお楽しみください。
次は、国芳の代表作の一つ、「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」を見ていただきます。
ある日、行きつけの骨董店で、私は一足違いで先客に国芳の3枚続きを買われてしまいがっかりしていたところ、店主が気の毒がって、後日、或るお客さんから譲り受けてくれたのが、何とこの大名品だったのです。
次も大好きな作品です。
「龍宮玉取姫之図」。
内容は、我が身を犠牲にする海女の話ですが、画面から受ける印象はメルヘンに満ちていて、特に擬人化された海の生き物たちの描写は非常に秀れています。
尚、フランスの画家エドゥアール・マネの描いた「ベルト・モリゾの肖像」の背景の壁に、この図が掛かっています。モネの愛蔵品だったのでしょう。
もう一点、作品の内容は違いますが同じ趣向の図があります。
左上にフランス語で何やらビッシリと書かれています。フランス文学者の及川先生に伺ったところ、この作品の説明との事でした。
はるばるフランスから里帰りした一点です。
ここまで、錦絵を紹介してきましたが、ちょっと趣のことなる摺物をご覧ください。
何とも涼しげな「秋草の図」です。
これは、富士田勇蝶という女性の求めで描いた摺物で、長唄のお披露目会のためのものです。この摺物も、神保町の古書店で雑多な版画類の入った箱の中から出てきた大珍品です。
尚、五十年以上通った神田の町は、私にとって又とない勉強の場であり、良い友人たちにも出会った想い出深い町です。
これで版画の紹介を終わりますが、最後にとっておきの肉筆画を2点だけ紹介いたします。
国芳宅では、年始の客のために玄関先に縁起物の肉筆画が積んであって、帰りがけに客がもらって帰ったそうですが、今ご覧頂いている曽我五郎は、数少ない密画の逸品です。滅多に出ない国芳の傑作でしたので、家内に土下座をしてやっと手に入れました。
もう一点。
この作品は、私が持っていた暁斎の作品をどうしても欲しいというフランスの業者の方に、「国芳の肉筆となら交換してもいいですよ」と話したところ、この絵を持って来られました。ボロボロの絵でしたが、表具を新調して私のコレクションに収まりました。私の愛蔵品の一つです。
以上でコレクションの紹介は終わりにいたします。
今まで、素晴らしい先生方や友人に恵まれたことを私は感謝しております。いつの間にか86歳の老人になり、この賞の恩返しは難しいでしょう。せめて若い研究者の方々に、必要なときには資料を提供すること位しかできません。どうかお申し付けください。
まだまだお見せしたい面白い作品がたくさんあって、今回は紹介しきれず残念です。
しかし、最近開催された悳コレクションによる二つの展覧会の図録が大変充実しておりますのでご紹介します。
一つは、練馬区立美術館の加藤陽介学芸員担当による「国芳イズム」。
もう一つは、太田記念美術館の日野原健二学芸員担当による「ラスト・ウキヨエ」の図録です。お二人の論文が秀れていますので、ぜひご覧下さい。
尚、「国芳イズム」展では、当コレクションの持ち主である私の油絵作品にも一部屋当てられた点でも、ユニークな展覧会でした。
慣れないお話で失礼しました。
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