小学校から高校まで、ほとんどひと月のあいだ休校という異常事態が発生した。めんどうな疫病のおかげだからしかたがない。しかし、この休校問題をとりあげた親たちや識者の意見を報道機関でみるかぎり、みなさん困った、困った、とおっしゃっているのがわたしには不可解であった。こどもの勉強が遅れる、給食がなくなったので昼食の用意をしなければならない、生活時間が不規則になる、いろんな理由で困った、というわけ。
だが、ほんとうにそうか。わたしはそうは思わない。こどもが家にいて自由時間があるならこれこそ絶好のチャンス。パパやママがいろんな勉強を教えたらいいではないか。あら、そんな筆順じゃいけないのよ、こう書くの、と書き取りを教えたっていいし、ふんふん、これはパパもこどものころ苦労したんだよ、といって二次方程式の解き方を教えたっていい。そうすれば学校にゆかなくたって、家に両親という立派な先生がいるのだからこどもは安心して親を見直すだろうし、パパ、ママも権威回復。こんなありがたいことはないではないか。
かんがえてみればパパ・ママはこどもたちの先輩である。ついこのあいだまで学校に通って一生懸命に勉強していたばかりである。やや年齢差がありすぎるが親はこどもの上級生。下級生にあたるこどもの勉強を手伝うくらい、なんの苦労があるものか。そんなこと忘れちゃった、というパパ、ママは先輩失格である。みずからの不勉強をタナにあげて、教育のことは学校にすべておまかせ、というのは「学校依存症」とでもいうべき現代病にかかっている証拠といってよい。
いそがしくてそんなヒマはない、などとおっしゃるな。折しも「働き方改革」というので残業も減っているし、コロナ騒動で自宅待機というパパ、ママもすくなくはないだろう。そうでなくても愛するこどもたちのためだもの、テレビなんか見ていないで、1日1時間くらい
勉強を手伝ってやったらいいではないか。週末だってあるじゃないか。
給食がない、というのも料理自慢のママの腕の見せどころ。いっしょにおいしい昼食をとるのもよし、いくらしごとがいそがしいといってもこどものお弁当をつくるくらいの知恵と手間はあるはずだ。それに、こうしてこどもたちが家のなかにいるのだから、これを機会に簡単な家事の手伝いをさせるのもよかろう。
そんなふうに夫婦、親子、きょうだいがそろって協力しながら暮らす機会なんかめったにない。専門家の見解によれば「密閉空間に、人数があつまって、近距離で会話する」ことがコロナ感染の危険条件だという。皮肉なことにこの3条件のすべてをみたすのが「家庭」というものなのだろうが、こればかりはいたしかたあるまい。リスクはチャンスなのである。
筆者:加藤秀俊(社会学者)
■かとう・ひでとし 社会学者。昭和5年、東京生まれ。東京商科大(現一橋大)卒業。京都大助教授、学習院大教授、国際交流基金日本語国際センター所長、日本育英会会長などを歴任。社会学博士。主な著書に『加藤秀俊著作集』(全12巻)のほか、『メディアの発生』『社会学』など多数。訳書にデイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』など。本紙正論メンバー。
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2020年4月2日付産経新聞【国難に思う】を転載しています