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最近、漫画家ら文化人の訃報が相次いでいる。こうも続くと、訃報記事を書く側も精神的にキツい。そんな中で読み、心を洗われたように爽やかな気持ちになれたのが、65歳になって映画を撮り始めた女性を描いた本作だ。
主人公は主婦うみ子。夫に先立たれた悲しみを抱えつつ、穏やかな生活を送る。かつて大の映画好きだったうみ子はある日、数十年ぶりに映画館に足を運ぶ。そこで、映像を学ぶ海(カイ)という美大生に出会ったことで物語が動き出す。映画館でのうみ子のしぐさで、彼女が「映画作りたい(こっち)側」だとにらんだ海。「映画作ったほうがいいよ」と背中を押す。「私が映画を撮るならば」。海の作った映像を見て、思考が止まらなくなるうみ子。美大の門をくぐり、映画作りへの挑戦を決意する。
年輪を重ねたうみ子はわきまえた人である。未知の領域に飛び込むのは大変だし、日常に波風を立てるのは面倒だということをよく知っている。こういうタイプの人物が、自分でも気づかなかった「好き」という感情に引きずり込まれていくのがたまらない。当初は孫くらいの年の同級生に対し、「ただの老後の趣味だから」と自虐的に話していたうみ子が、映画作りにのめり込んでいく様子も痛快。読んでいるわが身にも突き刺さる。
もう一人の主人公であろう海の人物像もいい。うみ子とは対照的に、「懐(なつ)かないけど魅力的な猫」を具現化したクールな存在。性別を超越した魅力があってドキドキする。映画のカメラワークを意識したコマ割りもすてきだ。
うみ子の姿は人から「終活」と呼ばれるかもしれない。それでも、65歳でエンドロールを流し始めるのは早すぎる。人は何歳からでも夢を見ていいし、幸せになる権利を持っている。こんな思いを素直に感じられる作品だ。
作家の村上春樹さんはエッセー「音楽の効用」で、くたくたに疲れたときにブラームスの協奏曲を聴き、息を吹き返すような癒やしを覚えた経験を振り返っていた。音楽と漫画の違いはあれど、その効用を個人的に追体験した作品である。既刊1巻。
筆者:本間 英士(産経新聞)