メモリアルが旧KGB本部前で行ってきた追悼行事「名前の帰還」=2010年10月29日、モスクワ(遠藤良介撮影)
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モスクワの旧ソ連国家保安委員会(KGB)=現・ロシア連邦保安局(FSB)=本部ビル前の広場が、例年10月29日には厳粛な空気に包まれる。
「ソロベツキーの岩」と呼ばれる記念碑の周囲に、朝から深夜まで人の列が絶えることはない。寒空の下で列に並んだ老若男女は代わるがわるマイクの前に立ち、紙片に記された10~20人の氏名や職業、没年月日をただ読み上げていく。
読み上げる人々が声を詰まらせ、涙ぐむのは、紙片に記されているのがソ連の政治弾圧犠牲者、いわれなき理由で銃殺された人々の名だからだ。全ての人に親族や友人がいて、その先に人生があるはずだった…。
「名前の帰還」と呼ばれるこの追悼行事を主催してきたのは、歴史保存に取り組むロシアの老舗人権団体「メモリアル」である。団体は「ロシアの良心」とも称され、ノーベル平和賞候補に挙げられてきた。
ソ連では独裁者スターリンによる大粛清がピークに達した1937~38年だけで70万人以上が銃殺された。全国に強制収容所のネットワークが張り巡らされていた。メモリアルは犠牲者の情報を資料から発掘してデータベース化し、弾圧史を継承することを主な活動としてきた。
そのメモリアルに対して昨年12月末、モスクワの裁判所が閉鎖命令を出した。閉鎖を申し立てた検察当局は、メモリアルが第二次大戦での対ドイツ戦勝利の歴史を「歪曲(わいきょく)」し、「ソ連がテロ国家であるとの誤ったイメージ」を流布したと主張した。メモリアルが国外からの資金を得て活動しているから裏切り行為を働くのだとも陳述した。
プーチン政権下のロシアには、国外から資金援助を受けている人や組織を、スパイと同義の「外国の代理人」に指定して規制する法律がある。メモリアルは「代理人」とされており、閉鎖の表向きの理由は法律の定める規制に従わなかったというものだ。
しかし、事の本質は、歴史の真実を継承するというメモリアルの活動が政権に容認できなくなったということである。政権はスターリン時代の暗部を歴史からかき消そうとしている。
「ソ連は第二次大戦で欧州をファシズムから解放した偉大な戦勝国である。スターリンの指導がソ連に戦勝と超大国の地位をもたらした」。プーチン政権はこれを国定史観とした上で、「欧米はロシアをおとしめるために歴史を書き換え、国を弱体化させようとしている」と吹聴してきた。
経済が長期停滞し、国民に何ら前向きな展望を示せなくなった政権は、「歴史の守護者」として求心力を維持しようとしている。歴史認識を欧米の「改竄(かいざん)」から守ることは、昨年7月に改定された国家安全保障戦略にも盛り込まれた。
メモリアルは、ソ連末期のゴルバチョフ政権が始めたペレストロイカ(再建)期に発足した。ノーベル平和賞を授与されたサハロフ博士も創設に携わった。グラスノスチ(情報公開)の流れの中で、スターリン時代の闇が暴かれていったことはソ連解体への原動力の一つともなった。
ソ連崩壊から30年の節目だった昨年12月に、メモリアルの閉鎖命令が出たのは極めて象徴的というほかない。歴史が弾圧対象とされる新たな暗黒時代の号砲である。
筆者:遠藤良介(産経新聞外信部次長兼論説委員)
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2022年1月4日付産経新聞【ロシア深層】を転載しています
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