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柳栄国チェフ(JAPAN Forward/吉田賢司撮影)

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大久保の裏通りに、ふわりと漂う出汁の香り。控えめな店構えの扉を開けると、目の前に現れたのは一見素朴な一杯。透き通ったスープに柔らかな豚肉が浮かび、白いご飯が添えられている。

その正体は、韓国の伝統料理「コムタン(牛骨スープ)」。シンプルながらも奥深いこの一杯が近年、食の世界で最も注目される料理の一つになっている。

ソウルから世界へ

2016年にソウルで創業した「オクドンシク」だ。18年以降は8年連続でミシュラン・ビブグルマンに選出されてきた。

派手さとは無縁の一杯を武器に、ハワイやニューヨークへと進出。そして8月、多国籍の熱気に満ちた東京・大久保が新たな舞台として選ばれた。

オクドンシク東京・大久保店(吉田賢司撮影)

「ソウルの本店も大通りではなく路地裏にありました。派手な看板ではなく、料理そのもので人を惹きつけたかったんです。」そう語るのは大久保店を託された、若き料理人の柳栄国(ユ・ヨングク)氏。

雑多でエネルギッシュな大久保の街は、柳氏にとって理想の舞台だった。

スープに余計な飾りを加えないのと同じように、賑やかな繁華街の誘惑にも流されない。魅力はあくまで料理そのものから生まれるべきだと、シェフは強調する。

シンプルの美学

辛味や発酵のイメージが強い韓国料理のなかで、清らかなコムタンは多少地味に感じるかもしれない。しかし柳氏は、その抑制こそが洗練の証だと語る。

「正直な素材、正しい調理法、雑味のない澄んだスープ。この基本を守ることが洗練だと考えています。」

オクドンシク東京の看板メニューデジコムタン(吉田賢司撮影)

厳選した豚肩肉を、温度を緻密に管理しながら煮込む。濃厚さを引き出しつつも、透明感を失わない。付け合わせは自家製の大根キムチ。

華美な盛り付けに頼らず、塩味と旨味、脂の温もりと後味の清らかさ。その均衡こそが、この一杯の核心であるという。

現地に合わせた工夫

ただ、オクドンシクは伝統に固執するだけではなく、地域ごとの嗜好に合わせた工夫も重ねている。ニューヨークでは塩味を際立たせ、ハワイでは爽やかさを重視している。

「どこに行っても土台は韓国のコムタンです。ただ、アクセントやニュアンスは現地に合わせつつ、韓国人の真心と温かさを感じていただけるようにしています。」

その温もりは味覚にとどまらず、一つの哲学でもある。柳氏が考える韓国料理の本質は「誠意」だ。愛情と思いやりを込め、真心を尽くすという意味をもつ「チョンソン」という価値観を、何よりも大切にしているという。

赤坂に新店オープンへ

オクドンシクは8年連続でミシュランのビブグルマンに選ばれ、創業期から着実に歩を進め、大きな飛躍を遂げている。

シェフにとって、この栄誉は、料理の価値を裏付けるものだった。

「こんな質素な料理でも、世界の舞台で評価され得ると示されたことが嬉しかった」と、柳氏は言う。

ミシュランガイド・ビブグルマンに選ばれたオクドンシク本店(ミシュランガイドweb)

同時に責任感も芽生えたそうだ。「もはや地元の食堂ではない。どこに行っても、韓国料理を胸を張って伝えていかなければならない。」

その責任感がシェフの次なる挑戦を後押しする。柳氏はコムタンにとどまらず、ほかの伝統的な韓国料理にも挑み、同じ誠実さをもって世界へ紹介していきたいと考えている。

そして、東京出店はその始まりに過ぎない。すでに赤坂での新店計画が進み、11月にはパリ店がオープンする予定だ。

「安心感」をデザインする

一方、東京店はメニューだけでなく、デザインでも独自性を示している。大久保店の内装を手がけたのは、元建装代表の三浦大氏。

「器とスープ、そしてお客様同士の会話が中心になる場所。 料理そのものが引き立つ空間、余計な装飾を省いた空間を求めました。」その構想を三浦氏はこう語った。

オクドンシク東京のダイニングエリア(オクドンシク東京提供)

結果として生まれたのは、ミニマルでありながら温かみのある空間。韓国風の素材が配色を作り、そして日本の感性が空間のリズムを紡ぎ出す。全18席のダイニングルームは簡素でありながら無機質ではなく、親密でありつつ窮屈さもない。

三浦氏は「何よりも『安心感』。派手さよりも温かさを、馴染みやすい印象を目指しました」、と語る。

世界の食文化が華やかさや新奇性に傾く時代に、オクドンシクは静かに自らの主張を貫く。謙虚さと熟練が結びついたその調和が、国境を越え、人々の心に届くのではないだろうか。

著者:吉田賢司

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