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2月4日、自民党本部で開催された外交部会と対韓国政策検討ワーキングチーム・領土に関する特別委員会の合同会議に呼ばれ、「日韓の歴史問題を克服するための方策について」と題してお話をさせていただいた。
帰宅後、急性胃炎と思われる症状に襲われ、6日、東海大学八王子病院に緊急入院し、手術を受けて14日に退院した。「竹島を考える」のコラムを休載したのは、そのためである。
終わらぬ日韓の歴史戦
病床では、自民党本部で講演した内容を改めて考える機会となった。この病院では病状を的確に判断し、適切な処置がとられた。その迅速さは、現在続いている韓国との論争でも求められている。病状の診断から緊急手術に至る流れは、韓国側が主張する争点を明確にして、それに対処する史料や文献を予測し、それらを駆使して反論するのと似ているからだ。
驚いたことに20代前半の多くの看護師さんが、いかなる状況でも患者に笑顔で接し、患者の精神的負担の軽減に努めていた。これは錬成を重ね、組織が成熟していなければできないことである。
だが残念なことだが、日韓の「歴史戦」が続く中、日本政府内にはそれに類した研究機関が存在しないのである。それは1950年代の竹島問題に始まって、80年代の「歴史教科書問題」、90年代の「慰安婦問題」、最近では「徴用工問題」や「軍艦島問題」、佐渡金山の「世界遺産推薦問題」などで、韓国側が繰り出す「歴史認識」に日本側が苦杯を嘗(な)めさせられ続けていることと無関係ではない。
教科書検定で「侵略」を「進出」と書き換えさせたとする歴史教科書問題が起こると、日本政府は歴史教科書編纂(へんさん)の際は、近隣諸国に配慮するとした「近隣諸国条項」を定めた(その後書き換えさせた事実はなかったことが判明)。そのため日本が教科書を編纂するつど、韓中の容喙(ようかい)を許すことになった。
慰安婦問題も同様で、「河野談話」(93年の慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話)では日本軍の関与を記述したことで、韓国側に言質を取られてしまった。その後の歴史戦で、韓国側が常に問題視したのは、過去の植民地支配の反省を前提とした、朝鮮人の強制労働の存在である。
これに対し、日本側が朝鮮人の強制労働の有無を論じたところで、何の意味もない。韓国側が問題にするのは、日本側が真摯(しんし)に反省しているか否かの確認で、日本側を説伏することが「過去の清算」になるからである。
だが韓国側の歴史認識は、朝鮮半島の伝統ともいえる「反正」(正しいものに反す)の感情に根差している。従ってそれは口実とはなっても、歴史の事実ではないのである。
韓国財団、捏造の温床
その事実は、昨年11月19日付の「竹島を考える」でも述べたとおり、韓国政府が日本海を東海とすべきだと主張してきた「日本海呼称問題」にも表れている。韓国政府は92年、国連地名標準化会議で日本海は東海に改めるべきだとした。
この時の論拠(歴史認識)は、国際水路局が『大洋と海の境界』(海の呼称に関するガイドライン)を編纂した29年当時、韓国は日本の植民統治下にあったため韓国は、2千年前から使ってきた「東海」の呼称を主張できなかった―とするものだった。
これに対して日本政府は、日本海は世界が認めた唯一の呼称であることを実証するため、フランス国立図書館、米国議会図書館、大英図書館、ケンブリッジ大学図書館などで古地図調査を実施して、日本海と表記した古地図が多いとしたのである。
だがその調査は、「2千年前から日本海を東海と呼称してきた」とする韓国側の歴史認識を論破する証拠能力はなかった。そこで韓国側では日本海と東海の併記を求め、2014年には、米国バージニア州議会で「東海併記法」を成立させていた。
それが20年11月、国際水路機関は、日本海の単独表記を決めたのである。同機関では日韓に対して、日本海呼称問題の解決を求めていた。そこで自民党の新藤義孝議員にお願いし、拙稿をその際の外交カードとしてもらった。拙稿では、韓国が日本海を東海と呼称するようになったのは1946年以降で、植民地支配や2千年前からとした歴史認識が真っ赤な噓だったことを論証したのである。
韓国政府は、島根県議会が「竹島の日」条例を制定したのを機に、政策提言機関である「東北アジア歴史財団」を発足させた。竹島問題を持続的に研究させる目的からで、その理事長は歴史学者で国務大臣級の権限があり、60人ほどの歴史研究者がいる。近年、日韓に歴史問題が絶えないのは、そこで虚偽の歴史が捏造(ねつぞう)されているからである。
日韓、日中の歴史戦を終結させるためには、日本にも持続可能な歴史研究機関が必要なのである。
筆者:下條正男(東海大・島根県立大客員教授)
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2022年3月19日付産経新聞【竹島を考える】を転載しています