SDF Series 1-001

A live naval mine removal drill by the Maritime Self-Defense Forces' minesweeping unit off the coast of Iwo Jima, a significant World War II battleground. June 21, 2024 (©Sankei by Toyohiro Ichioka)

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7月1日で自衛隊発足から70年となった。厳しさを増す安全保障環境と向き合う自衛隊の現場から現状と課題を探る。

 

 

機雷除去は「まさに心理戦」

 

ズン…。掃海艇の木造甲板を下から衝撃が突き上げた。同時に約800メートル先の海面がむくむくと盛り上がり、轟音とともに砂混じりの白黒の水柱が約30メートル立ち上がった。「水柱視認、爆破成功」と艦上放送が流れる。海底で爆発したのは、艦船の磁気や音に反応して炸裂する機雷だ。

 

機雷除去を主な任務とする海上自衛隊の掃海部隊が6月21日、小笠原諸島の硫黄島沖で行った実機雷処分訓練。今年で発足70年の陸海空自衛隊は一度も戦火を交えたことがないが、掃海部隊だけが敵機雷による〝戦死者〟を出した経験を持つ。海上保安庁の下部組織だった昭和25年、朝鮮戦争で国連軍側の要請により任務に就いた際のことだ。

 

この日の訓練の「感応掃海」では、海底の機雷を爆破させるため、掃海艇は「ドコドコドコ…」という艦艇の通過音を鳴らす音響装置と、電流で磁場を発生させるケーブルを後方に引いて時速10キロ程度でゆっくりと航行した。

 

「敵の意図を読み、空母を狙ったと想定すれば空母のような通過音や磁場を出す」と海自隊員が説明した。機雷は炸裂までの通過回数も設定できるため1回で作動するとは限らず、掃海艇は何度も海域を通過する。隊員が続けた。

 

「まさに心理戦です」

 

 

機械に任せるべき最適解を模索

 

安価で海上封鎖できる機雷戦は昔ながらの作戦だ。先の大戦後には、米軍が約1万2000個、帝国海軍が約5万5000個を敷設した機雷が残り、民間商船の犠牲が出た。そこで旧海軍の掃海部隊が衣替えして海上保安庁として任務を継続した。

 

日米史に詳しい阿川尚之慶応大名誉教授は著書『海の友情』で「帝国海軍から海上自衛隊へと糸をつなぎ、戦後日米海軍関係の重要な礎石を築いた」と記す。掃海任務は潜水艦を発見・追尾する対潜戦とともに、米軍が海自に頼る重点分野だ。

 

だが、護衛艦の建造費が年々高くなり、人手不足も重なったため、海自は掃海任務に特化した専門部隊から、無人機による掃海システムを備えた新型護衛艦(FFM)へのシフトを進めている。

 

第1掃海隊司令の野間俊英1等海佐(50)は「どこまで機械に任せるべきか、最適解を模索している」と胸中を吐露しつつ、こうも言い切る。

 

「日本人特有のきめ細かさで技量は世界一と確信している。存在価値はある」

 

 

無人機対応「まだ手付かず」

 

耳をつんざくような轟音とともにF15J戦闘機が一瞬で紺碧の空へと消えた。15秒の間隔を置いて計4機が飛び立っていった。尖閣諸島(沖縄県石垣市)から約400キロ離れた航空自衛隊那覇基地は南西諸島防衛の要だ。24時間、365日体制で待機するパイロットは、領空侵犯を警戒する緊急発進(スクランブル)の命令からわずか数分以内に離陸する。

 

空自那覇基地のF15J戦闘機。スクランブルの指示から5分以内に離陸していく=6月24日、那覇市(大竹直樹撮影)

 

「中国機が太平洋側まで出ている。スクランブルのときは基地内に緊張が走る」。第204飛行隊隊長付の山本智之2等空佐(41)はこう語る。防空識別圏(ADIZ)に入ってきた国籍不明の機体に近づき、国籍や飛行目的を確認するスクランブルは空自全体で昨年度669回に上った。このうち中国機が7割強を占める。

 

昨年5月には中国の無人機が日本最西端の与那国島と台湾の間を抜け、東シナ海から太平洋へ南下。従来の偵察型だけでなく、攻撃能力を有し、高高度を飛行できる無人機もある。

 

低コストの無人機を飛ばし、相手を消耗させる「コスト強要戦略」の一環との見方が強い。南西航空方面隊司令部防衛部長の奥田将善1等空佐(48)は「無人機は10時間以上飛行できるといわれるが、戦闘機は長時間飛べない。何回も反復して運用しなければならず、大きな負荷を強いられている」と明かす。

 

 

大国間競争の時代に突入

 

昭和29年7月1日に発足した空自が、在日米軍から引き継ぐ形で対領空侵犯措置の任務を開始したのは33年2月だった。

 

米ソ冷戦の緊張が緩和した「デタント」を背景に51年に初めて策定された「防衛計画の大綱」(51大綱)では空自について、日本周辺の「ほぼ全空域」を常に警戒監視できる体制を目標に掲げた。そのために戦闘機部隊13個飛行隊と全国28カ所に固定式レーダーを配備し、この体制は半世紀近くを経た現在も維持されている。

 

51大綱は、自衛隊の存在自体を抑止力と捉え、地域において「力の空白」とならない程度に防衛力を整備する「基盤的防衛力構想」を打ち出した。それから50年近くがたった現在、米中の覇権争いを主軸とした大国間競争の時代に突入し、日本は戦後、最も厳しい安全保障環境下に置かれている。

 

対立の中心は冷戦時代の欧州からインド太平洋地域に移った。自衛隊制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長は「われわれは第一正面の最前線に立たされている」との認識を示す。

 

中国の無人機に対し空自は有人機によるスクランブルという「非対称」の対応も迫られ、負荷は増している。自衛隊は基盤的防衛力構想から脱却し「存在する自衛隊」から「機能する自衛隊」への変貌を模索する。

 

空自内にはスクランブル偏重を見直すよう求める声もあったが、今もスクランブルを念頭に置いた空自の部隊配置は基本的に変わっていない。

 

空自幹部はロシアによるウクライナ侵略で展開される戦い方は、戦闘機で航空優勢を維持する考え方からの転換を迫ったとの認識を示す。令和4年策定の国家防衛戦略では、無人装備の防衛能力強化を柱の一つに据えた。だが、「まだ手が付けられていない」(防衛省幹部)のが実情だ。

 

70年間、一度も戦火を交えていない自衛隊が今後も戦闘をしないで済む保証はない。実戦経験の乏しさは弱点でもある。

 

筆者:市岡豊大、小沢慶太、大竹直樹(産経新聞)

 

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