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日本の佐渡金山世界遺産登録をめぐって韓国では登録反対の動きを見せているが、日本国内でも韓国の主張に迎合する勢力が存在する。こうした勢力は、佐渡金山の世界遺産登録は江戸時代までの史跡が対象で、戦時中などの近代化産業遺産は含ないことに言及しない。
戦時中に朝鮮半島から佐渡金山に強制的に連行され、奴隷のような労働をさせられていたと主張する日本の団体が4月21日に被害者遺族を佐渡に案内した。翌日の22日には佐渡市で佐渡金山の世界遺産登録を批判する集会が開かれ、前述の被害者遺族が招待されて「証言」を行った。この出来事は日本国内で直ちに「佐渡金山で強制労働の韓国人の遺族が佐渡市を訪問」、「歴史を隠した世界遺産登録の動きを批判」と報じられた。
「父がいつ、どのように連行されたのか、正確には知りません」
筆者は4月22日の集会に参加したが、「強制連行」や「強制労働」を実証する集会としては大変お粗末な内容であった。先ほどの遺族の「証言」から説明する。1943年に佐渡金山に「強制連行」されたといわれている鄭雙童の息子である鄭雲辰は証言の中で「父がいつ、どのように連行されたのか、正確には知りません」と話した。具体的な状況が判明していないにもかかわらず、なぜ「強制連行」されたと断言するのであろうか。明らかに矛盾している内容である。証言が証拠として説得力を持つためには十分な検証が必要である。しかし、4月22日に紹介された韓国人の「証言」は全てが検証不十分な内容であり、不可解な内容ばかりであった。
医学的に不可解な証言
例えば、1941年に佐渡に来た申泰喆の娘である申成起は次のように「証言」している。父親が朝鮮半島に帰ってきた1945年から息切れと咳が酷くなり、家族の介護なしでは生活できないほどの呼吸困難に陥ったと話した。娘の申が話している内容は珪肺と言って、鉱山などで働くと鉱石の粉塵を吸引することによって引き起こされる肺の病気である。佐渡金山の珪肺に関しては1944年に齋藤謙が医学論文で発表している。齋藤の論文によると、珪肺は第Ⅰ期、第Ⅱ期、第Ⅲ期に分けられ、第Ⅱ期から日常生活に支障が出始める。申の父親の様子から見ると、珪肺第Ⅲ期であると思われる。しかし、第Ⅲ期は平均で10年以上働かねば発症の可能性が無いことを齋藤論文が示している。5年間しか働いていない父親が珪肺第Ⅲ期を発症するなど医学的におかしいのである。
本当に佐渡金山での後遺症か?
同様のケースは金文国の息子である金平純の「証言」にも見ることが出来る。金文国は6年間佐渡で働いたようだが、珪肺第Ⅲ期の症状が出たという。しかも、妊婦のようにお腹が膨れていたとも話している。珪肺の症状の中に腹部が膨張する現象は確認できないので検証が必要だ。盧秉九の息子である盧安遇は1995年以降に父親が急に咳を出して亡くなったと話しているが、1945年の終戦から50年経過しての発症ならば、それは佐渡金山の労働とは無関係と考えるべきであろう。「強制連行」や「強制労働」を証明したいのであれば、証言全てを医学的な観点から検証しなければならない。
「強制連行も強制労働も無かった」と主張した佐渡市民
4月22日の佐渡市の集会は「証言」だけが紹介され、具体的な資料は一切紹介されなかった。筆者が所属する歴史認識問題研究会は、戦時中や終戦直後に作成された資料を引用して「強制連行」も「強制労働」も無かったことを証明してきた。4月22日の集会に参加していた一人の男性が質疑応答の時間に「私は『強制連行』も『強制労働』も無かったと考えている。『強制』という言葉の定義を明らかにしてから集会を開くべきだと思う」と会場で堂々と発言したのである。筆者たちの学術活動が佐渡にも届いていたのかもしれない。この男性の発言を聞いた開催者側は一言の反論も出来ないまま、次の質問を募るしかできなかった。
偽りの歴史を利用して日韓交流を妨害
繰り返しになるが、4月22日の集会を主導したのは日本人である。日本人団体が偽りの歴史で佐渡金山を貶め、日本と韓国の友好を積極的に阻害している。具体的な資料も提示せず、怪しい証言も検証しない団体が主張する「強制連行」と「強制労働」にどれほどの説得力があるだろうか。
筆者:長谷亮介(歴史認識問題研究会研究員)