伝統的な石見神楽は日本・出雲における製鋼の発現の物語を示した。日本神話の神スサノオと八頭八尾の龍蛇ヤマタノオロチの戦いが暗喩するものだ。
日本の製鋼地への旅の第1部では、島根県にある山陰地方の霊的、神話的な起源を訪れ、この物語の魅力的な演目に惹かれた。
翌日、島根県の鉄砂の豊富な金属製造村を訪問した。洋式製鋼の導入前、島根県は日本の鉄鋼生産の拠点だった。伝統的な日本の鉄鋼、「和鉄」には「たたら吹き」を用いる。鋼が製錬される粘土炉とそれらを収容する場所は一般的に「たたら」と呼ばれている。
村を流れる川は、山から落ちてくる鉄の堆積物が多く、赤く染まる。山から流れ落ちる他の天然の水源の多くは、歴史的には砂鉄を軽い沈泥や砂から分離するために利用されたが、現在では景観の中で美しい特徴となっている。
雲南市の吉田町にある「鉄の歴史博物館」を訪れた。日本の伝統的な村にある、古風で趣のある博物館だ。村はもともと江戸時代(1603~1868)に裕福な製鉄一族によって所有されていた。博物館では、日本の伝統的な鉄鋼製造の歴史に関する非常に有益なビデオを紹介している。英語のナレーションもついている。博物館には日本の鉄鋼生産についての説明がついた多くの遺物もある。
鉄鋼生産の家族の頭は鉄師(てっし)として知られていた。そして、炉と鉄鋼生産の責任者は村下(むらげ)として知られている。これらの小さな生産コミュニティを所有していた家族は、まだ近くに住んでいる。
今では伝統的な金属を生産していないが、美しい池と滝のある壮大な庭園は残っている。村と博物館は、イギリスのコーンウォールの古い銅採鉱村を彷彿とさせる。
山陰地方を旅しながら、私たちは山を越え山を通り抜け、田園地帯の壮大な景色を眺めることができた。私は田んぼをつくるために使われた、棚田と呼ばれる丘の中腹に美しく彫刻された階段を見た。棚田は 日本人と自然の調和のとれた関係を示すことで知られる。
山陰地方の棚田は、この調和のとれた関係の典型的な例となるだけでなく、たたら鋼製造方法が自然や自然資源と友好的であることを示す。山陰地方の棚田は、主に山と丘の中腹が鉄砂で採掘された後に、段々の田んぼになったためだ。
この歴史は各たたら自体が天然の粘土レンガから作られており、そして木炭は持続可能な森林から供給されているという事実からも示される。たたら加工に使用される道具はすべて天然素材、またはたたらで製造された金属から作られている。
私の次の目的地は吉田町の山稜地帯にある「菅谷たたら」。国の重要有形民俗文化財として指定され、現在は稼動していないが非常によく保存された伝統的な鉄鋼生産地だ。
予想していた通り、敷地内には美しい赤い川が流れ、近くには何十年も手をつけられていない朽ちた木製の水車と水路があった。建物自体は大きな屋根を柿葺(こけらぶき)で覆っている芸術作品だ。たたら場の傍らには大きな桂の木がある。たたら製鉄の女神である金屋子神(かやなごかみ)が白鷺に乗って降臨したといわれている。
ほかのたたら遺跡と同様に、金屋子神を祀る小さな神社が川のそばに建っていた。金屋子神は嫉妬深い神といわれている。男性は一人で参拝することを奨励され、鍛冶関係の作業場には女性を入れない掟があったという。
建物の中には、長さ約2メートル、幅1メートル、高さ約1メートルの粘土たたら炉があった。役立つ説明文、原材料、道具を見ることができる。
菅谷たたらを発ち、私は「奥出雲たたらと刀剣館」へ向かった。ここでは多くのインタラクティブなたたら品を展示している。訪問者は様々は種類の伝統的な鞴(ふいご)を体験し、たたら製鋼法について学ぶ機会を得ることができる。
刀剣も展示されている。それらの多くは地元の刀匠、小林家が作ったものだ。私は刀匠・小林貞俊 と一緒に鍛造に参加することを許されただけでなく、鋼鉄と刀剣製作についての講義も受けた。剣士、ヨシハラ・ヤスオ氏によるセンセーショナルな真剣による試し斬りの後、訪問に区切りをつけた。
次は安来市広瀬町にある金屋子神社へ。神社は静謐だが非常に強力な感覚が生まれ、実際よりはるかに古く見せる。神社までの道は、たたら製鉄で作られた、ケラと呼ばれる鉄と鋼の大きな塊の供え物が並んでいる。
神社の内部と周辺には、小さな銑鉄と鉄塊が積み重なった小さな祠と祈祷所がある。非常に重要な場所であることが明確で、そこでは金属製造業者は良い鋼鉄と鉄の生産のために神に祈る。
私の旅のパート3では隠岐島に渡る。後鳥羽上皇が配流され、余生を過ごした地。彼はこの地で刀を鍛えたといわれている。
筆者:ポール・マーティン(日本刀専門家)
[山陰の旅]
第1回:オロチと日本刀の神話
第2回:伝統的な鉄鋼文化「たたら」
この記事の英文記事は2018年3月18日に掲載されました