月探査に受け継がれる「こうのとり」 全機成功の遺伝子

 

国際宇宙ステーション(ISS)への物資補給機「こうのとり」が8月20日、最後の飛行を無事に終えた。全9機の成功を通じてISSの活動を支え続け、日本の国際的な地位の向上や有人宇宙技術の獲得に貢献。その遺伝子は後継機に受け継がれ、日本初の有人月探査での活用を目指す。

 

 

壮大な初打ち上げ

 

こうのとりは2009年9月11日の未明、鹿児島県の種子島宇宙センターから初めて打ち上げられた。

 

機体は全長10メートル、直径4・4メートルの円筒形で、大型の観光バスに匹敵。ロケットは新たに開発された国産最大の「H2B」が投入され、夜空をオレンジ色に染めながら轟音(ごうおん)とともに上昇する壮大な光景に、大勢の見物客が目を奪われた。

 

この日は、総選挙で大勝した旧民主党の鳩山由紀夫政権が誕生する5日前。新たな時代への期待や熱気が社会に満ちていた中、日本の宇宙開発が踏み出した新たな一歩だった。

 

もっとも、旧民主党政権への期待は徐々にしぼんでいったが、対照的にこうのとりはほぼ年1回の物資補給を順調に達成。ISSに参加する米国や欧州、ロシアなどの信頼を着実に獲得していった。これまで運んだ荷物の総重量は計約50トンにのぼる。

 

 

ものづくり日本の勝利

 

こうのとりの開発は1994年にさかのぼる。ISS計画に参加する費用を支払う代わりに、実験棟「きぼう」の開発を進めていた日本に対し、米国が物資補給の分担も求めてきたのが始まりだ。

 

当時の日本は初の国産大型ロケット「H2」を打ち上げたばかりで、米国は日本の技術を完全には信頼していなかった。開発当初から携わった宇宙航空研究開発機構(JAXA)の佐々木宏理事は「かなり厳しく見られ、苦労して設計を固めた。それが9機連続の成功につながったと思う」と振り返る。

 

こうのとりの大きな特徴は、宇宙空間でも飛行士が普段着で活動できる、温度や気圧が調整された貨物室だ。ISSの飛行士に新鮮な野菜や果物などを届け、宇宙生活の質を高めた。

 

ISSへのドッキング技術も、衝突すれば飛行士の命にかかわるだけに、高い信頼性が要求された。こうのとりはISSから約10メートルの距離まで接近した上で、ISSのロボットアームが捕まえてドッキングする。秒速約8キロで飛行するISSと速度や向きを完全に一致させる必要があった。

 

数々の困難を乗り越え、15年の歳月をかけて完成したこうのとりの初号機は、物資補給後に地球の大気圏に突入して消滅するまでの運用を無事に達成。当時の関係者の言葉を借りれば、まさに「ものづくり日本の勝利」だった。

 

当初7号機までだった打ち上げ回数は、ISS計画の延長などで9号機まで“増便”。物資補給にとどまらず、2018年の7号機では帰還カプセルを搭載し、ISSから実験試料約1キロを回収した。

 

帰還カプセルは、南鳥島(東京都)沖の太平洋に着水する直前にエンジンを噴射し、衝撃を緩和。この技術は、大気圏への突入時に必要な耐熱性とともに、有人宇宙船でも活用できる。

 

こうのとりを通じて日本の宇宙技術は大幅に向上。貨物室や帰還カプセルなどを通じ、有人宇宙船の実現に大きく近づいた。

 

Kounotori HTV diagram, courtesy of JAXA

後継機は月への飛行も

 

こうのとりで培った技術は来年度、次世代大型ロケット「H3」で打ち上げられる後継機「HTV-X」に受け継がれる。愛称はまだ決まっていない。

 

搭載できる荷物の量は約1・5倍。燃料タンクや太陽電池パネルの大型化で運用期間を大幅に延長し、月への飛行も意識する。

 

今年7月に日米両政府間で署名され、日本人宇宙飛行士による初の月面着陸などが盛り込まれた共同宣言では、後継機による月周回基地「ゲートウエー」への物資補給を検討課題とした。自動ドッキング技術の開発などが求められる。

 

こうのとりの貢献は、日本人がISSに向かうための“旅費”でもあった。後継機によるゲートウエーへの物資補給も、日本人の月探査を実現する対価となるだろう。

 

日本の宇宙開発を発展させるため、こうのとりの系譜は今後も活躍し続ける。

 

筆者:小野晋史(産経新聞科学部)

 

 

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Author:

Shinji Ono is a science & technology news writer of The Sankei Shimbun, Science News Department.

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