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親日家のシラク元フランス大統領が死去 86歳

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フランスのジャック・シラク元大統領(1995~2007年在任)氏が9月26日、死去した。86歳だった。家族が同日、発表した。死因は明らかにされていないが、アルツハイマー病を患い、療養を続けていた。高松宮殿下記念世界文化賞に国際顧問として長く関わり、大統領就任後は同賞の名誉顧問を務めていた。

 

戦後のフランス保守派を代表するシャルル・ドゴール大統領の路線を受け継ぎ、米国に対抗する独自外交を重視。2003年、米国主導のイラク戦争開戦に、ドイツと共に反対した。日本文化の愛好家で、訪日は公私合わせて40回以上に上った。

 

約20年前のこと、そのシラク元大統領に、国際会議の会見場で「日本の新聞記者ですか」と話しかけられたのを思い出す。西欧の記者団に紛れ込んだ小さな東洋人女性が目にとまったらしい。壇上を降りて最後列の私の席まで歩み寄り、日本文化を語った。

 

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話題は、自身が収集している日本刀の鍔(つば)から長崎・出島の歴史までさまざま。面食らう私に手を広げ、「日本はすばらしい」と言い残して出口に向かった。その瞬間、取り巻いていたフランス人記者たちが左右に分かれて道を開けた。宮廷を行く王のような貫禄。明るく、華のある人だった。

 

 

愛犬の名前は「スモウ」

 

大の相撲ファンで、愛犬にスモウと名付けたほど。1986年には首相、95年には大統領として大相撲パリ公演を実現。大相撲に「フランス大統領杯」を創設し、現在の「日仏友好杯」として受け継がれた。日本駐在経験のある仏外交官は、「大相撲開催中は番付と決まり手を本国に送らねばならず、苦労しました」と回想した。

 

世界の注目を浴びたのは2003年。米主導のイラク戦争に正面から反対し、仏伝統の独自外交「ド・ゴール主義」を発揮した。一度決めたら、突き進む。「ブルドーザー」というあだ名そのものだった。

 

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内政は苦闘を迫られた。1995年、3度目の挑戦で大統領選に勝利したが、97年の下院選挙で破れ、社会党との保革共存政権を余儀なくされた。05年、欧州連合(EU)憲法批准を国民投票で否決され、政治的な求心力を失った。95年には南太平洋のムルロア環礁で核実験を強行し、国際的批判を浴びた。退任後はパリ市長時代の汚職事件をめぐり、執行猶予付き有罪判決を受けた。

 

それでも、国民に愛された。情に厚く、「正しいフランス」を示そうとしたからだろう。95年、ナチス・ドイツ占領時代のユダヤ人迫害について「仏警察が指示されてやった」と演説し、歴代大統領で初めて国家責任を認めた。パリ市長だった70年代、空港で迎えたベトナム難民の少女を家族として育てた。3年前の世論調査で「シラク政権によい思い出を持っている」と答えた人は83%に上った。

 

地方に視察する度、名物のハムやチーズを手づかみでたいらげた。好物は「子牛の頭の煮込み」。洗練された高級フレンチより、田舎料理を好んだ。パリの日本大使館を訪れたとき、「焼き肉と日本のビール」を所望したという。

 

晩年はアルツハイマー病が進み、かつての側近も分からないほどだったという。豪快な笑顔を国民の心に残し、逝った。

 

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筆者:三井美奈(産経新聞パリ支局支局長)

 

 

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