日本人監督作品が国際映画祭で最優秀長編ドキュメンタリー作品賞受賞、公開延長決定
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インドネシア辺境の島でクジラを捕って生活する人びとを追ったドキュメンタリー『くじらびと』(石川梵監督 , 英題 “Lamafa”)は、複雑にもつれる捕鯨論争にではなく、村人のシンプルな暮らしと彼らが生きる過酷ながらも美しい世界を映し出し、観客の共感を呼んでいる。
日本人監督による同作が、2 日、グアム国際映画祭で栄誉ある最優秀長編ドキュメンタリー作品審査員大賞を受賞した。一般観客への公開に先駆けての受賞であり、今後さらなる受賞の可能性がある。
日本では評論家と観客の声に後押しされ、劇場公開が延長されており、上映劇場数も増えている。
「捕鯨の側面についてはほとんど語られていない」と石川梵監督は言う。「焦点は、そこで生活を営む人びとの美しさだ」と。
石川は写真家として働きながら、同作の制作と編集に30 年以上を費やしてきた。いよいよ公開というタイミングで直面したのは、新型コロナウイルス感染症拡大による全国的な緊急事態宣言だった。
それにもかかわらず、『くじらびと』はFilmarks(現在5 つ星中4.1)やYahoo!映画(現在5 つ星中4.28)といった国内最大級の映画批評サイトで高評価を得ている。観客動員数についても、新型コロナウイルス感染症による外出自粛が続く中で満席完売するなど好調を見せている。
こうした観客による後押しと共にソーシャルメディアでの強い支持を受け、同作の上映延長を決める劇場が増えている。自主制作映画としては珍しい現象だ。9 月の公開から2 ヶ月あまりで、広島と福山の劇場が追加上映を決定し、福岡の劇場でも新たな上映が決まった。石川も全国の劇場に足を運びながら、観客からの質問に直接答えるなどしている。
同作の英題であるLamafa(ラマファー)とは、同作の舞台となったインドネシアの小さな村ラマレラで、村人がクジラ捕りを指して呼ぶ栄誉ある称号だ。同作を自費制作した石川は複数の家族を丁寧に取材し、村人の厚い信頼を得て、彼らの日常生活、市場、葬式、そして海でのクジラ漁に至るまで撮影を許された。
石川はプロの写真家として、ラマレラ村で30 年にわたり映像を撮り続けてきた。村の人びととクジラ漁を写した写真集『海人― THE LAST WHALE HUNTERS』(新潮社)が1997年に出版されている。つまり、石川は数世代にわたってラマレラの人びとのクジラ漁と生活を記録してきたということだ。
『くじらびと』は、ラマレラ村での伝統的な暮らしを詳細に映し出す。舟や銛、ロープなどの道具を自らの手で作る村の漁師たち。白髪混じりのクジラ捕りたちと、彼らに憧れ、共に海に出る子どもたち。妻、未亡人、漁に祝福を与える司祭とシャーマン。
作品中、最も力強く心に迫るのは海でのシーンだ。石川は最新の映像技術を駆使し、それまで撮影されたことのなかったラマレラ村の伝統的クジラ漁を記録した。怒ったクジラが体当たりする際の舟を撮るためのステディーカム、上空からの撮影を可能にするドローン、その衝突をクジラの視点で捉える水中カメラとマイク。
捕鯨は論争を引き起こす主題であり、クジラは世界の多くの地域で神聖な動物と考えられている。しかし、『くじらびと』はクジラ漁に関わる一切を隠そうとはしない。そこには、クジラを仕留めるために海に飛び込んで銛を打つ男たちや、銛で刺されたクジラの巨体が血を流しながらもがく姿が鮮明に映し出される。
また、クジラの解体プロセスや、村人が伝統に基づいてクジラ肉の様々な部位を厳密に分配する様子が詳細に描かれる。こういったシーンも、漁師やその家族の人となりを丹念に紹介し、村人の生活がいかに海の巨大な哺乳動物に依存して成り立っているかを描いたことで、共感を呼ぶものとなっている。
同作はまた、二つの時代にまたがる社会を映し出す。島の人びとは、一方では異教の儀式でニワトリの生贄を捧げながら、もう一方では教会に出席し、孤独ではあるが金になる仕事を得るため都市への移住を考え、クジラ肉を周辺の村からの生鮮食品と交換する。『くじらびと』について石川は「捕鯨以上に、グローバリズムの影響について描いた作品だ」と感じている。
筆者:ジェイ・アラバスター
翻訳:垣沼希依子