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「メディア・フレンズィ」という英語がある。直訳は「報道の熱狂」、その典型例が最近の内政報道だ。メディアは、自民党総裁選の行方や新政権の人事には一喜一憂していた。一方で、野党の動きはあまり報じない。その間に、新型コロナウイルスは東京の新規感染者数が大幅に減少し、ワクチン接種率も米国を超えた。9月3日の菅義偉前首相の総裁選不出馬決定から10月4日の岸田文雄内閣発足まで1カ月の「熱狂」は一体何だったのか。
双日総研の吉崎達彦氏は菅政権が「この1年で達成した仕事量は膨大なもの」とし、具体的成果として①ワクチン接種体制構築②東京オリパラ開催③2050年カーボンニュートラル宣言④デジタル庁創設⑤一連の外交成果⑥福島第1原発処理水問題⑦携帯料金値下げ⑧最低賃金引き上げ⑨不妊治療保険適用⑩国民投票法、種苗法、重要土地取引規制法など積み残し法案の処理―を挙げた。概(おおむ)ねフェアな分析だと思うが、こうした報道が日本メディアにあまりないのは何故(なぜ)だろう。
岸田新政権についても同様だ。内閣が本格始動する前から「発信力不足」などと疑問を呈する向きもあるが、そもそも彼らの言う「発信力」とは何なのか。耳に心地よい外連味(けれんみ)ある言説で偏った内容を伝えることなのか。筆者にはよく分からない。政治が最大多数に最大幸福をもたらす手段ならば、その内容は複雑だ。それを単純化して歯切れ良く伝えても、それは真の「発信力」ではないだろう。
「日本の常識は世界の非常識」とは故竹村健一氏の言葉だが、残念ながら、この名言は日本のジャーナリズムにも当てはまる。そのことを痛感させられたのが、最近内閣記者会が行った「首相記者会見」に関する申し入れだ。
報道関係者によれば記者会側の要望は①質問を各社1問で再質問なしと制限せず、②常任幹事社以外の加盟社などもより多く参加させ、③司会進行は内閣広報官ではなく幹事社にさせよ、ということらしいが、一部に時間制限なく質問を切り上げないよう求める意見もあったという。これが日本のジャーナリズムの「常識」だとすれば、筆者には違和感がある。
筆者の知る限り、主要国で、選挙により選ばれた首脳レベルの要人が1日に2回も定例記者会見に応じている例は日本(官房長官会見)しかない。
ある調査によれば、G7諸国で行われる首脳レベルの記者会見は概ね短時間。例えば、英国の記者会見は平均5分程度、仏独伊加各国やEUでも会見はせいぜい30分、ぶら下がり取材を認めない国も少なくない。米国では、トランプ政権とバイデン政権で対応が異なるが、いずれにせよ、日本のように首相記者会見に1時間程度、ぶら下がり取材にもある程度の時間を割いている国は他にない、と言ってよいだろう。
しかも、欧米諸国での記者会見のやりとりは日本での「常識」とは大違い。各種記者会見の記録を読んでも、政府側には当然「ノーコメントの権利」があり、記者側も既に出た質問を延々と繰り返す例はあまりない。
勿論(もちろん)、民主主義国の国民には「知る権利」がある。しかし、それは必ずしも「記者会見で質問する記者が無制限に質問を続ける権利」を意味しない。さらに、開かれた民主主義諸国の政府にも「コメントしない」権利は認められている。これが民主主義制度の下での記者会見の「常識」だろう。既に国際的に見ても傑出した記者会見の機会を享受している日本のメディアは、質問の「量」だけでなく、「質」にもこだわってほしいものだ。
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筆者:宮家邦彦(みやけ・くにひこ)
昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では首相公邸連絡調整官を務めた。現在、内閣官房参与、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。
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2021年10月7日付産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】を転載しています
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