大海原でクジラと闘い、命をいただく-。四半世紀以上、1つの村に通い、人間のその尊い営みを追い続けた日本人監督のドキュメンタリー作品がついに完成する。世界各地で「祈り」をテーマに撮影を続け、写真家の肩書も持つ石川梵(ぼん)さんの「くじらびと」。1992年から、インドネシア東部レンバダ島の小さな村を訪れ、勇敢な漁師が一本の銛(もり)で体長15メートルにもなるマッコウクジラを仕留める壮絶なドラマをカメラに収めることに成功した。来春公開予定。
人口2000人のインドネシア・ラマレラ。27年前に初めて訪れて以来、人々と親交を深めた石川さんは外国人でありながら、村人の暮らしと同化し、地域の信仰と結びついた伝統漁の神髄に触れた。鯨肉は貧しい人たちや一家の稼ぎ手を失った世帯に優先に配給され、社会保障の役割も担っていた。
石川さんは勇敢な鯨捕り「ラマファ」たちが小さなクジラ舟にのりだし、どのようにマッコウクジラを捕獲するのか、この地域の伝統捕鯨がどのように次世代に受け継がれてきたかを克明に記録した。
「村の人々にクジラを食べないという選択肢はない。火山性のやせた土地では食物が育ちにくい。鯨肉は村の人々の生命線となっています。そんな中、重責を担い、命がけでへさきに立つラマファは英雄なのです」と語る。
映画は息をのむシーンの連続だ。海、山、森が織りなす大自然の美しさ、21世紀の今も、和をもって尊しとなす暮らしを続ける人々の清廉さ、そして、クジラが人間に死闘を挑む、生命のすさまじさ-。映像が突きつける現実には、捕鯨の是非をめぐり終わりのない議論を繰り広げる捕鯨論争の文脈は一切ない。
撮影のため、村に多くの高性能カメラや編集機材を持ち込んだ。近年は水中カメラやドローンも石川さんにお供した。しかし、石川さんが村に滞在する時期は漁に出ても、クジラが獲れない年が続いた。「ボンがいると鯨が出ない」-。迷信深い人々は不漁の原因を石川さんに押しつけることもあった。捕鯨のシーンがなければ、画竜点睛(てんせい)を欠く。石川さんは粘った。
今年6月も、最後の機会のつもりで臨んだ撮影でもとうとうクジラは終盤まで獲れなかった。滞在ビザを延長して、翌日にはもう帰国するとなった最終日。自分が乗っている小舟のラマファ(鯨捕り)が海に飛び込み、一番銛を入れた。
石川さんは決定的瞬間を逃さなかった。「奇跡としか言いようがない。神様は何というドラマを用意していたのだろう。世界を驚かす映像が撮れた」と振り返る。
ストーリーは漁の最中に犠牲になった1人のラマファと、息子の死を乗り越えようとする父、意志を受け継いだ兄を中心に展開されていく。クジラは小舟に体当たりして、必死に逃げようとする。雄たけびを上げて、また海に飛び込むラマファ。結末は-。
石川さんの初映画作品は2015年に大地震に見舞われたネパールを支援するために作った「世界でいちばん美しい村」だ。映画界で評価を高めたこの作品はほぼ個人で製作した。今回の作品も納得がいくまで撮影を続けるために、大口スポンサーに頼らない姿勢を貫いた。この夏、身を削るような思いで、長年の間、撮りためてきた映像素材を削る作業を続けた。そして、想定の時間にまで縮め、一本筋の通った形になった。
最終局面に入ったラストマイルの編集作業。ラマレラの捕鯨は近年、和歌山県太地町の伝統捕鯨と同様、反捕鯨団体が圧力を加え、存続の危機にあっている。石川さんは、信仰や文化と結びついたラマレラの捕鯨のありのままの姿を世界に伝える使命を感じている。
資金集めをする石川さんはこう訴えた。
「この原始的な捕鯨はいつ終焉(しゅうえん)を迎えてもおかしくない状況にもある。ラマレラの捕鯨は日本の江戸時代の捕鯨との類似点も多く、貴重な映像記録を後世に残したい。これまで大きなスポンサーに頼ることなく、時間をかけても一切の妥協をしない姿勢で製作を続けてきた。映画を完成させるため、どうか、みなさまの力を貸してください」
筆者:佐々木正明(産経新聞)
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【プロフィル】石川梵(いしかわ・ぼん)
1960年生まれ、大分県出身。写真家、ノンフィクション作家。フランス通信社(AFP通信)のカメラマンを経て、90年よりフリー。これまで世界60カ国以上の国々で「大自然と人間の共生」をテーマに撮影を重ねてきた。著書や写真集に「海人」(新潮社)「祈りの大地」(岩波書店)「The Day After 東日本大震災の記憶」(飛鳥新社)など。監督作品は2017年公開の「世界でいちばん美しい村」