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クジラは「資源」 捕鯨、工場制手工業の原点に

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和歌山県太地町の恵比寿神社にある「鯨骨鳥居」

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日本人は、はるか昔からクジラを捕ってきた。第2部「クジラがいた風景」(全5回)は海と日本人を語るうえで欠かせない捕鯨の歴史をみる。江戸時代に栄えた古式捕鯨は巨大な海洋資源を商品化する一大産業であり、文化であった。クジラとは日本人にとって、人類にとって何なのか。捕鯨をひもとく探訪に出た。

 

和歌山・太地漁港の恵比寿神社に、骨2本が突き立っていた。背丈の2倍ほどもある。イワシクジラのあご骨で作った「鯨骨(くじらぼね)鳥居」だという。捕鯨にまつわる宗教的な伝統かと思ったが、その制作は意外にも新しい。初代が昭和60年で、いまのは3代目であった。

 

江戸時代の大坂で活躍した作家、井原西鶴の「日本永代蔵」(1688年)にこうある。

 

〈高さ三丈ばかりもありぬべし。目なれずしてこれに興覚めて、浦人に尋ねければ…〉

 

太地を訪れた西鶴とおぼしき旅人が、奇妙な鳥居に驚く場面である。日本永代蔵は金銭にまつわる失敗や成功を虚実まじえて描いた、いまでいう経済小説だ。太地に鯨骨鳥居があったという証拠はなく、読者をひきこむ創作とみられている。

 

聞き書きの体裁で西鶴が取り上げたのは、天狗源内という捕鯨家である。もとは一介の鯨突き漁師であったが、骨から油を搾るアイデアを思いついた。さらに「鯨網」を作って捕りそこなうことがなくなり、巨万の富を築いたという。

 

〈油をしぼりて千樽のかぎりもなく、その身・その皮・ひれまで捨る所なく、長者になるはこれなり〉

 

クジラは悠々と海を泳ぐ資源のかたまりであった。ひとたび陸に引き上げられると、巨体は残さず切り分けられた。食肉は言うに及ばず、灯火や農薬になる油、文楽人形のバネに加工されるヒゲなど、さまざまな商品が生み出された。「一つ捕れば七浦潤う」といわれたゆえんである。

 

〈(身を)切り重ねし有様は、山なき浦に珍しく、雪の富士、紅葉の高雄ここにうつしぬ〉

 

西鶴は各部位の肉が積み上がる様子を、カラフルなたとえを用いて描いた。

 

 

血も肥料 資源を富に

 

天狗源内にはモデルが実在した。延宝5(1677)年、クジラに網をかけて銛(もり)で突き取る方法を考案した初代の太地角右衛門、頼治だ。格段に捕獲率をあげて家業を大きくし、もとの和田姓から独立して太地姓を名乗った。天保7(1836)年の長者番付「日本持丸長者鑑」には当時の角右衛門が前頭三枚目として載るほどの富豪であった。

 

太地の古式捕鯨は頼治の祖父である和田忠兵衛頼元が興し、江戸から明治にかけて和田家と太地家が仕切った。子孫で勝浦町長などを務めた太地五郎作が、昭和10年に行った講演記録がある。それによると古式捕鯨がいかに組織的な企業運営であったかがわかる。

 

事業計画や資金調達、賃金計算などを行う事務部門があり、捕鯨に従事する数百人の漁師を雇った。船や道具の修理を扱う大工方、銛など鉄製器具を手入れする鍛冶方など専門部門もあった。肉は塩漬けにし、皮は釜で煮詰めて油を取り、大阪や名古屋に船で出荷した。肥料にするため血までくみ取るほど、全く無駄なく利用したという。

 

熊野灘に面した 和歌山県の太地漁港。昔も今も捕鯨の拠点だ

 

資本主義の基礎

 

捕鯨の組織を築いた頼元や斬新な手法で飛躍させた頼治は、漁師というよりも産業家であった。戦国から江戸という時代の変わり目に、自らの才覚で新しい産業を飛躍させた。

 

たいていの魚はとった形のまま浜で売れば終わりだが、捕鯨はそうはいかない。販路の確保に加え、天然資源から製品を取り出すような工程も必要だった。

 

京都大こころの未来研究センターの特任教授で人類学者の中沢新一氏は、古式捕鯨の意義をこう話した。

 

「日本のマニュファクチュア(工場制手工業)の体系は太地で生まれ、西陣などの織物産業に転用されていった。いわば日本の資本主義発展の基礎、ものづくりの原点が、ここにあったといえる。西鶴は海から引き上げた富を金にかえるプロセスに注目し、その才覚を称賛したのです」

 

 

「息子はクジラを捕っているのよ」

 

太地は江戸時代には大坂と江戸をつなぐシーレーンに位置し、岬には鯨油をともす燈明式の灯台があった。捕鯨は村をあげての事業という性格も強く、桜井敬人(はやと)・太地町歴史資料室学芸員は「不漁のときも水夫を雇い続けるなど、救済事業の面も大きかった」と、西鶴が注目しなかった面も指摘する。

 

近代になっても捕鯨は形をかえて続き、伝統は同時に生活でもあった。太地町は面積約6平方キロと和歌山県で最も面積が小さな自治体である。昭和や平成の「大合併」をくぐり抜けて独立を選択してきた背景に、捕鯨を核とした紐帯(ちゅうたい)があったことは間違いない。

 

鯨骨鳥居を見上げていると、年配の女性が声をかけてきた。「うちの息子、クジラを捕っているのよ」

 

なるほど、捕鯨はいまを生きる誇りでもあるのだ。

 

筆者:坂本英彰(さかもと・ひであき)
社会部大阪総局編集委員。平成元年入社。社会部、文化部、外信部を経験し、分野をまたいで考えるくせが身についた。これまで、近代国民国家のアイデンティティーを解く「国境と民」、現象の核心を識者に聞く「ニュースを疑え」のほか、古事記や日本書紀に関する連載などを担当。今シリーズでは海にかかわる日本人の精神史に新たなアプローチを試みたい。

 

 

2022年4月4日産経WEST【わたつみの国語り 第2部(1)】を転載しています(全5回)

 

この記事の英文記事を[Whaling Today]で読む

 

 

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