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【主張】建国記念の日 美しい日本を語り継ごう

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「第35回建国記念の日を祝う千葉県民の集い」で披露された和楽器演奏=2月11日、千葉市中央区(©産経新聞)

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ロシアによるウクライナ侵略からまもなく1年になる。停戦への兆しはいまだ見えず、安全保障環境の激変や原材料価格の高騰など世界が混沌とする中で、建国記念の日を迎えた。

 

その重みを、ひしと感じずにはいられない。

 

ウクライナの戦闘は、国を愛し守ろうとする意志がいかに大切であるかを教えてくれた。寡兵のウクライナ軍と市民の懸命な戦いに世界は瞠目(どうもく)し、当初は及び腰だった支援が次々に寄せられた。

 

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もしも将来、日本が同じ惨禍に見舞われたとき、同じような意志を示しうるだろうか。

 

National Foundation Day

橿原神宮で披露された能「神武」。神武天皇を祭神とする橿原神宮で建国記念の日の2月11日に行われる「紀元祭」を奉祝する記念行事として演じられた=2月4日午後、奈良県橿原市(©産経新聞、彦野公太朗撮影)

 

国を愛するには、建国の物語を知らねばなるまい。日本書紀によれば辛酉(かのととり)の年(紀元前660年)の正月、初代天皇である神武天皇が大和の橿原宮で即位し、日本の国造りが始まった。現行暦の2月11日である。

 

以来日本は、貴族の世となり武士の世となっても、ただ一系の天皇をいただく国柄を守り続けてきた。19世紀に西洋列強がアジア諸地域を次々に植民地化するようになると、明治維新により天皇を中心に国民が結束する国家体制を築き、近代化を成し遂げた。

 

『神武天皇東征之図』 八咫烏に導かれる神武天皇。冒頭掲載画像の全図(ウィキペディアより)

 

時の政府が2月11日を紀元節の祝日と定めたのは明治6年で、そこには、悠久の歴史をもつ国家の素晴らしさを再認識し、国民一丸となって危機を乗り切ろうとする意味があった。

 

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終戦後、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)により廃止されたが、昭和41年に建国記念の日として復活した経緯がある。

 

建国記念の日の2月11日に橿原神宮で行われる「紀元祭」で、神楽の扇舞を奉納する巫女ら=奈良県橿原市(©産経新聞、荒木利宏撮影)

 

祝日法では「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされている。ウクライナ情勢だけでなく、台湾有事への懸念など東アジア情勢も厳しさを増す中、改めてその思いを深める必要があろう。

 

戦争を肯定するつもりは毛頭ない。むしろその逆だ。国を愛し守ろうとする意志を持つことが、他国に侵略の野望を抱かせない抑止力となる。

 

国の成り立ちを知り、先人がときに命懸けで築き、力を合わせ守ってきた歴史や文化に理解を深めることは、自分自身や家族、同胞を愛することにもつながる。同時に、他国の文化や歴史を尊重する心も育んでいく。

 

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いまこそ、日本を美しいと思い、守ろうとする心を語り継ぐ意義は大きい。

 

 

2023年2月11日付産経新聞【主張】を転載しています

 

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