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音楽家の坂本龍一さん死去 「YMO」メンバー、テクノで世界に影響

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ピアノソロコンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」で演奏する坂本龍一©2022 KAB Inc.

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音楽グループ「YMO」(イエロー・マジック・オーケストラ)のメンバーで、日本人初となる米アカデミー賞作曲賞を受賞した音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日、死去した。71歳だった。葬儀は近親者で行った。

 

昭和27年、東京都出身。東京芸大大学院修了。53年に細野晴臣さん、高橋幸宏さんとYMOを結成。代表曲「テクノポリス」などを作曲し、シンセサイザーを駆使した電子音楽「テクノポップ」で世界を席巻し、後進のミュージシャンに多大な影響を与えた。

 

Ryuichi Sakamoto

坂本龍一=2010年11月15日午後、東京都世田谷区若林(瀧誠四郎撮影)

 

その後はソロ活動を展開し、映画音楽も手掛けた。俳優としても出演した大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の音楽で英アカデミー賞を受賞。ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」の音楽で、米アカデミー賞や米グラミー賞などに輝いた。平成4年、バルセロナ五輪開会式の曲を担当し、自らタクトを振った。令和4年12月にはピアノ・ソロ・コンサートを世界約30カ国・地域に配信し、5年1月にアルバム「12」を出していた。

 

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昭和57年、シンガー・ソングライターの矢野顕子さんと結婚し、平成18年に離婚。ミュージシャンの坂本美雨(みう)さんは娘。令和3年に直腸がんの手術を受けるなど近年は闘病生活を送り、4年から5年まで文芸誌「新潮」で自伝を連載した。

 

平成21年、フランス芸術文化勲章オフィシエ。22年、芸術選奨文部科学大臣賞。

 

 

「音楽は僕の一部」永遠に

 

ポピュラー音楽の分野で、坂本龍一さんほど世界に知られた日本人はいないだろう。

 

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名をとどろかせたのは、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)での活動。細野晴臣(はるおみ)さん、高橋幸宏さん(今年1月死去)と3人で当時、最新の電子楽器類を駆使した。

 

人工的で斬新な響きの独自の「テクノ」サウンドは、1970年代末から80年代前半にかけて世界中の音楽家に大きな衝撃を与え、元ビートルズのポール・マッカートニーさんやマイケル・ジャクソンさんといったスーパースターが、影響を受けた作品を残したほどだ。

 

YMOが活動を停止した後も坂本さんは、日本人で初の米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど活躍し続けた。まさに「世界の坂本」だった。

 

東京芸大の大学院に進み、音楽理論に精通していたことからYMOの高橋さんがつけた愛称が「教授」。ぼそぼそと、しかし、明快に語る坂本さんは確かに学者のようだった。

 

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その音楽も理知的で、聴き手の感傷は寄せつけず、ただ音楽自身の美しさだけでそびえ立っているようなところがあった。

 

だが、かつて坂本さんは本紙のインタビューで「僕はジャズはやらない。ジャズで行われている即興演奏は極めて高度な行為で、聴衆の誰もが理解できるとは思えないから」と話した。

 

学者のような坂本さんだったが、より広く、多くの人に届く音楽を作ろうと心を砕いていたのだろう。

 

ピアノソロコンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」で演奏する坂本龍一©2022 KAB Inc.

 

文芸誌「新潮」の昨年7月号から連載した自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」で坂本さんは、自身のがんがすでに「ステージ4」であると明かし、「最後の瞬間まで音楽を作れたらと願っています」というコメントを出していた。

 

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かつて坂本さんは、記者にこう語った。「僕が音楽を選んだわけではなく、そもそも音楽は僕の一部なんです」。音楽は、生涯、坂本さんの一部だった。

 

筆者:石井健(産経新聞)

 

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