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【主張】国立競技場の未来 先端技術と伝統の共存を

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国立競技場=2019年12月15日(共同)

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五輪・パラリンピック後の「負の遺産化」が懸念された国立競技場の民営化事業で、日本スポーツ振興センター(JSC)はNTTドコモを代表とするグループを優先交渉権者に選んだ。

 

グループにはJリーグも参画しており、30年間の運営権の対価として528億円の支払いを提案した。国は年間約10億円を上限に負担可能とする方針を示していたが、この負担も求めない。

 

国立競技場=2019年12月31日(共同)

 

計画には、大型ビジョンやグループ席を新設し、次世代高速通信技術の導入によるスマートスタジアムの実現、独自の遮音技術によるコンサートの開催頻度を増やして収益性を高めるなどの方針がうたわれた。

 

競技場の黒字化に道筋をつけるものであり、歓迎する。国立の成功は地方のスタジアムにも好影響を与えるだろう。

 

同時に「ナショナルスタジアム」としての意義や伝統も大切にしてほしい。将来的に命名権売却の構想もあるが「国立」の名を残す工夫が求められる。

 

国立競技場

 

国立の建て替えは、サッカーの2002年W杯日韓大会で開催会場から外れたことに端を発する。観客席に屋根がないなど国際規格に合致しないためで、日本ほどの国が国際大会を開けるナショナルスタジアムを保有していない是非が問われたものだ。必ずしも、東京五輪開催のための新設ではなかった。

 

国立の前身は「明治神宮外苑競技場」で、織田幹雄が三段跳び、南部忠平が走り幅跳びの世界記録をここで樹立し、大戦中には学徒出陣の壮行会が行われた。昭和33年には旧国立競技場が跡地に建設され、39年、東京五輪のメイン会場となった。その後も世界陸上やサッカー、ラグビーなどの幾多の名シーンがここで生まれた。

 

こうした歴史を受け継いだ新生国立競技場は令和元年12月に開業し、3年前の東京五輪・パラリンピックのメイン会場となった。球技系競技に限っても、4年10月、ラグビーの日本代表対ニュージーランドの6万5188人を最多に、6万人以上が9回、5万人以上が29回の観客動員数を記録している。

 

NTTドコモを代表とするグループの計画は「国内スポーツ界の発展を牽引(けんいん)する、スポーツの聖地化」ともうたっている。これこそが国民が期待する「国立競技場」の姿だろう。

 

 

2024年6月8日付産経新聞【主張】を転載しています

 

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