横田めぐみさんの写真と母、横田早紀江さん
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横田めぐみさんは昭和39年10月5日、名古屋市の病院で生まれた。1日には東海道新幹線が開通し、10日には国立競技場で東京オリンピックの開会式が行われた。
母の早紀江さんは「この子は、すごいときに生まれたんだ」と実感していた。赤ん坊のころのめぐみさんには、いつも陽光が当たっていた記憶がある。
それが暗転したのは、52年11月15日だった。父、滋さんの転勤で引っ越した新潟で、めぐみさんは中学校からバドミントン部の練習の帰りに、北朝鮮の工作員に拉致された。13歳だった。
あれから長い、家族の戦いが始まり、滋さんは一昨年6月に亡くなった。夫妻は「めぐみは東京五輪とともに生まれたのだから、次の東京五輪までに絶対に返してほしい」と話していたが、コロナ禍により1年の延期で開催された2度目の東京五輪を終えても、めぐみさんは帰ってこない。
10月5日、めぐみさんは58歳の誕生日を迎えた。早紀江さんはその日を前に「私たちの大切な娘を奪った悪には徹底的に立ち向かう」と強い口調で語った。こんな悲しい誕生日をいつまで続けなくてはならないのか。
拉致から45年、早紀江さんは86歳になった。めぐみさんの弟、拓也さんは「北朝鮮の人質外交は変わっていない。変わったのは最前線で戦った父らが他界したことだ。親世代が(めぐみさんらと)会えなければ拉致問題の解決はあり得ない」と話している。
岸田文雄首相は3日の所信表明演説で「全ての拉致被害者の一日も早い帰国を実現すべく、あらゆるチャンスを逃すことなく、全力で取り組みます」「拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、日朝国交正常化の実現を目指します」と述べた。そこに熱は感じられない。拉致の解決なしに国交正常化の交渉などはあり得ないと、強く迫るべきだった。
家族の悲痛な訴えや首相の演説をあざ笑うかのように、北朝鮮は10月4日、弾道ミサイルを発射した。ミサイルは青森県上空を通過し、太平洋に落下した。
岸田首相は「暴挙だ」と非難したが、それだけでは何も変わらない。国際社会の怒りを結集して圧力を極限まで高め、拉致問題解決への糸口をつかむ。そんなしたたかな交渉を望みたい。
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2022年10月6日付産経新聞【主張】を転載しています