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中国政府による新疆ウイグル自治区などでの人権侵害行為を非難する国会決議が2月1日にも採択される見通しという。北京冬季五輪の開幕(4日)より前に日本の国会の意思を表明することは大事だが、肝心の中身がいけない。問われているのは国の意思であり、与党の覚悟である。
決議の文案は昨年末、自民、公明両党間の修正協議で、当初案の「非難決議」から「非難」の2文字が削除され「人権侵害」は「人権状況」に変わった。文中に「中国」という国名もない。
フランス下院が20日に採択した、中国が新疆ウイグル自治区でジェノサイド(集団殺害)を犯していると非難する決議とは雲泥の差がある。
決議は昨年、自公両党が難色を示したことで2度も採択が見送られた経緯がある。20日の衆院本会議で日本維新の会共同代表の馬場伸幸氏は「対中非難に値しない骨抜きの決議案」と批判し「自公執行部の対応は中国政府におもねるもので、言語道断」と述べた。
対する岸田文雄首相は「人権をはじめとした普遍的価値が中国においても保障されることが重要だ」としながら「決議の採択は国会で議論いただくべきものだ」と述べるにとどまった。
よもや自身が、党の議論に責任を持つ総裁でもあることを忘れたわけではあるまい。
北京五輪の外交的ボイコットの判断を先送りし続けた際にも岸田首相は「日本の国益を考えながら判断する」と繰り返したあげく、政府代表団の派遣は見送るが「外交的ボイコット」という表現は使わないという結論に至った。抗議の意思が伴わなくては、派遣見送りに意味は見いだせない。
非難決議の字句修正も同様である。どの国の何の行為に対して出すのかを明確にしなければ、全く相手には届かない。
昨年6月、衆参両院はミャンマーの軍事クーデターを非難する決議を採択した。国軍や警察による民間人に対する暴力についても言及した。小国は非難できても大国に物は申せぬ、ということならあまりに情けないではないか。
国益とは経済的損益のみを指すものではない。民主主義陣営の普遍的価値である「人権」に覚悟を持てぬ国とみなされれば、これほど国益を損なう行為もあるまい。文案は再考すべきである。
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2022年1月22日付産経新聞【主張】を転載しています