PHOTOS _ Tokyo on weekend of Coronavirus Crisis 009

 

ステーション・ワゴンに食料品をしこたま積んで、まだ寒いのにN県の湖畔の別荘へ、友人たちが車を連ねて行ってしまった。コロナウイルスの発生で、東京のような大都会に居ても、展覧会も音楽会も中止。レストランへ行くことも憚(はばか)られる。それならいっそ高齢の者は、人里離れた山奥で暮らすに限る。退職した外交官と学者と画家と三家族、別荘村の仲間の男三人女七人、計十人が、進んで世間から自己隔離して生活を送るという。犬も連れて行く。車には葡萄(ぶどう)酒もチーズも積んであったから、羨(うらや)ましくて「良いお休みを」とご挨拶し「せいぜい読んでくれたまえ」とイタリア文学の翻訳を三冊、餞別(せんべつ)に渡した。

 

 

疫病を逃れて優雅な隔離生活

 

昔と変わらないな、と思った。七百年前、西洋で黒死病流行のとき、難を避け、別荘で閑雅な生活を送った人々がやはりいた。当時はテレビも携帯もない。退屈しのぎに十人の男女が一日に一人が一話ずつ、代わる代わる延べ十日、話をした。金曜土曜は休んだから、実際は二週間余の滞在となった。それで計百話の『デカメロン』の物語となったというのが作者、ボッカッチョ(1313~1375)の弁である。

 

物語の歴史的背景はこうだ。十四世紀半ば、イタリアでは都市国家が栄え、フィレンツェの政治家、ダンテ(1265~1321)は『神曲』百歌を書き、ジョット(1266~1337)は教会の壁にフレスコ画を描いた。トスカーナ地方にはルネサンスの文化が花咲き始めた。

 

 

悲惨の極みもいつしか歓喜に

 

だが西暦一三四八年、そのトスカーナ地方をペストが襲った。中近東に端を発したペストの猖獗(しょうけつ)は、武漢に端を発したコロナウイルスの比ではない。フィレンツェは九万の人口が三分の一の三万に激減した。それでも同市は再び立ち直ったが、フィレンツェと覇(は)を競ったシエーナ市は二度と立ち直らなかった。

 

中世の西洋ではペストは天譴(てんけん)とされ、人間の行いが不逞(ふてい)だから天罰が下る、と坊様は説教した。だがそんな宗教的説明のまやかしに我慢できない人もいる。フィレンツェの商人、ボッカッチョは、父をペストで亡くしたが、災害の少なかったナポリで働いていたおかげで生きのびた。人間、死の脅威にさらされると、逆に生の執着や性の欲望が強くなる。ボッカッチョはあふれんばかりのヴァイタリティに富む作品を書いた。

 

だがすごいのはまえがきに描かれたペストだ。近ごろ話題のマンゾーニ作『いいなづけ』の十七世紀北イタリアの疫病の記述は、『デカメロン』に想を得、社会の混乱を迫力ある筆致で描写した。

 

「これに罹(かか)った病人から病気が健康人に移るさまは、乾いた物体や油を塗った物体に火が飛び火するのと同じでした。病人と話したり近づいたりした人に病気がうつり、同じように死に至らしめたばかりか、病人の衣服とか病人が触ったとか使ったものに触れただけでも病気は伝染したからです。ひとたび病に伏すや皆に見捨てられ、病床に呻吟(しんぎん)しました。誰もが相手を避け、誰一人隣人の世話をせず、親戚同士も見舞うことは絶えてない。会っても距離を置きました。時には妻も夫を顧みなくなりました。頼りとては使用人の貪欲さ加減に頼るしか手はありません。そうした使用人は看護の心得など毛頭ない。病人から頼まれた物を差出すか、死んでゆくのを見守るかぐらいがせいぜいでした。しかもこうした仕事で稼ぐうちに、本人もしばしば病気に罹り、儲(もう)けた金を手にしながら死んでいった。…」

 

ボッカッチョが報ずる人心の荒廃は恐ろしい。しかし、苛烈で峻険(しゅんけん)な山路は辛いが、一旦乗り越えた先の平野はそれだけ一層心地よい。悲惨の極みもいつしか歓喜に代わる、その後に続く優しい男女のきわどい話が楽しく頤(おとがい)を解く。

 

 

民主的自由か強権的専制か

 

イタリア文学の名著は『神曲』を別格として『デカメロン』と『いいなづけ』だが、強制された隔離は古典の読書で過ごすにかぎる。コロナ禍は長く続きそうだが、いつかは終息する。友人が山中から戻り、訳書の感想が聴ける日を楽しみに待っている。「世間が落ち着けば今度は愛情が濃厚感染しますよ」と笑うと電話が切れた。

 

そんな私はマスクして拱手傍観(きょうしゅぼうかん)しているが、疫病は個人の運命ばかりか国の運命をも左右する。今回の大災厄の後に、米中いずれが覇権国として生きのびるか。米国側は「中国ウイルス」と発生源の中国の隠蔽(いんぺい)体質を非難する。中国側は米軍人が「新冠肺炎」のウイルスを武漢に持ち込んだ、と噂を流す。北京は、非難が習近平政権でなく米国に向くよう反米感情を煽(あお)る世論操作に出たらしい。これにはさすがに呆(あき)れた人も中国内にいて「不要瞼(プヤオリエン)」(恥知らず)とネットに出た。武漢の骨つぼの数は発表された死者の数より何倍も多い。コロナ禍との戦いは、民主的自由国家と強権的専制国家との戦いの一環に化しつつあるようだ。

 

平川祐弘(東京大学名誉教授)

 

 

2020年4月3日付産経新聞【正論】を転載しています

 

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