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いつか、ノルウェーの地を訪れてみたい。
そんな淡い夢を抱くきっかけを作ってくれた張本人は、レノンとハルキだった。
Norwegian Wood. 邦題「ノルウェーの森」。ビートルズの名曲は1965年、ジョン・レノンの甘い歌声とアコースティックギターの調べでこの世に送り出された。
♪昔、僕に彼女がいた。
それとも彼女が僕をひっかけたというべきか♪―。
ビートルズにはまったころ、何度もこのメランコリー調の曲を聞き、歌詞を口ずさんだ。
村上春樹さんが「ノルウェイの森」を書き下ろしたのは、それから22年後の1987年。物語は、主人公のワタナベがドイツ・ハンブルク空港に到着した飛行機の中で、このビートルズのBGMを聞き、学生時代のことを思い起こすところから始まる。2010年には映画化され、ワタナベを松山ケンイチさんが演じた。原作の人気は海を渡って久しく、映画は評判を呼び、世界各国でも上映された。
しかし、もう世界中の人々が把握している周知の事実なのだが、Norwegian Woodもノルウェイの森も、フィヨルドとバイキングが有名なこの国が舞台になったわけではない。それでもなぜか、2人のレジェンドの創作センスとこのタイトルに惹きつけられて、北欧スカンジナビア半島の緑の国への旅愁がそそられてしまう。
出張や旅行で出向いた世界中の国々で、書店に行き、ハルキを探すことを1つの趣味にしている。もう個人的なルーチンとも言うべきかもしれない。ちょっとした合間にでも書店を探し出し、本棚のハルキに会いに行く。村上作品はどの国でも人気で、日本語からの翻訳版が出版されている。カバーデザインや装丁には、作品や日本に対するその国のイメージが投影されていて興味深く、各国版をコレクションにしている。
ノルウェーの首都オスロに暮らすコーディネーター、峯俊直美さんがオンラインでオスロの本屋に連れて行ってくれた。この街随一のお洒落エリアで、カフェや雑貨屋さんであふれるグリューネルロッカ。流行発信地でもある街角に書店「カッペレンス フォーシュラグ」があった。
オスロ随一のお洒落エリア・グリューネルロッカにある書店「カッペレンス フォーシュラグ」のHPはこちら
店主のアンドレアス・カッペレンさんがお気に入りの本を店に置く、店名はずばり「カッペレンのおすすめ」。天井が高く、囲まれた四方の本棚にはカラフルな背表紙の本がずらりと並ぶ。中央に3つの椅子。窓側にも読書用のスペース。調度品や装飾品も趣のあるものばかりで、ゆっくりと気に入った本を読むことができる。
店には英語版の「ノルウェイの森」とノルウェー語版の「1Q84」が置いてあった。日本の女性をイメージした幻想的な表紙デザイン。カッペレンさんが本棚から取り出し、説明してくれた。
「ノルウェーでもハルキ・ムラカミは人気。ムラカミはノルウェーを代表する作家ダーグ・ソールスターの仕事と熱意を気に入っており、いくつかの作品を翻訳している。ムラカミは自らの作品とノルウェーの文学を通じ、日本とノルウェーを結んでくれている」。
日本と国の面積がほぼ同じながら、人口は約540万人と日本の約23分の1のノルウェー。両国を結び付ける共通項がもう一つある。それはクジラだ。両国とも伝統的な捕鯨国で、食卓にクジラ料理を並べ、親から子へ、子から孫へと命を繋いできた。
オスロにも鯨肉を食材に使う著名店が多々ある。1857年創業のレストラン「エンゲブレット カフェ」。ノルウェーが世界に誇る劇作家ヘンリク・イプセン、作曲家エドヴァルド・グリーグ、画家エドヴァルド・ムンクらも通ったこの老舗店は、季節の食材にこだわり、捕鯨シーズンの5月末から6月終わりまで、新鮮な鯨肉を使った料理を提供している。
オスロに住んで14年になる峯俊さんはこの店について「ノルウェーの名だたるアーティストや知識人たちが愛した由緒正しきレストラン。大切な人の特別な日に一緒に行きたい場所です。食材はすべて独自ルートで産地直送されていて、極上の雰囲気で料理を味わうことができる」と語る。
日本人にもなじみのある、世界遺産ガイランゲルフィヨルド観光の玄関口オーレスン。近郊のフィン島にあるホテル「ハヴストゥーア」の一流シェフ、ラーシュ ヘルゲ・ハンセンさんに、クジラ料理のレシピを紹介してもらった。
ノルウェー風鯨肉のソテー。一昨年、日本でも商業捕鯨が再開され、日本近海産の鯨肉が容易に手に入るようになった。ほかの食材もスーパーなどで売っており、各家庭でも簡単に調理できる。
ハンセンさんに調理のコツを聞くと①肉を焼くとき、十分にフライパンを加熱すること②野菜はお好みで、炒めるのに適した野菜であればOK③ワインがない場合は、例えばリンゴジュースや苦みの少ないビールを使えば、料理に深みを出すことができるーと教えてくれた。
ハンセンさんは捕鯨について否定的な意見がある現状を踏まえながら、鯨肉を食材に用いることについて、こう語っている。
「クジラは素晴らしい自然の恵みであり、長年にわたって私たちの食生活の重要な部分をなしてきました。私は捕鯨が持続可能で、人道的なやり方で行われていることや、ノルウェーの食文化に関する知識をみなさんに伝えることに大きな喜びを感じています」
ラーシュ ヘルゲ・ハンセンさんがシェフ兼副支配人を務めるホテル「ハヴストゥーア」の公式HPはこちら
ノルウェーではこの新型コロナウイルス禍で、海外旅行ができなくなったため、国内旅行が人気に。都市部から多くの人が捕鯨拠点の街に観光に訪れたため、鯨肉の国内消費量が伸びたのだという。ノルウェー最大手の捕鯨会社ミクロブスト・バルプロダクタの日本法人代表取締役、志水浩彦さんはノルウェー人のクジラ事情を解説してくれた。
「厳しい自然と向き合うノルウェー人は生き物との関係が近く、常に自然との調和とは何かを考えている。消費できる分だけクジラを獲るという感覚も持ち合わせ、持続可能な捕鯨につながっている。北極圏の海を回遊するクジラは脂がのっていて、美味しいのです」
くじら料理のレシピが豊富なくじら肉.comの公式HPはこちら
緯度の高いノルウェーは夏、太陽がなかなか沈まない。西海岸沖の大西洋にはクジラが姿を見せ、捕鯨シーズンとなる。海洋と森林が織りなす大自然の恵みは、独特の食文化を築き上げた。
いつの日か、かの地を訪れ、バイキングの末裔が21世紀に繋いできたクジラ料理を極上のレストランで味わいたい。そう、それは白夜の夏がいい。腹がふくれたところで、書店に行き、「ノルウェイの森」を買って、近くの森に向かう。そうして、木陰に座って、スマホで「Norwegian Wood」を聞きながら、1ページ目を開くのだ。
レノンとハルキが演出するこのノルウェーでのひと時を、至福の旅と言わずしてなんと言うのだろうか。
筆者:佐々木正明(産経新聞)
提供:日本鯨類研究所