Arata Isozaki Himalaya Center Shanghai China

The Himalayas Center by Arata Isozaki taken in Shanghai, China on October 2019 (© Kyodo).

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ポストモダン建築の旗手として国際的に活躍し、茨城県のつくばセンタービルや米ロサンゼルス現代美術館などの設計で知られる建築家、磯崎新(いそざき・あらた)さんが12月28日、老衰のため那覇市の自宅で死去した。91歳。葬儀は1月4日、沖縄県浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館で近親者のみで執り行われた。喪主は長男、宙(ひろし)氏。

 

Arata Isozaki
磯崎氏=2015年6月16日(©産経新聞)

 

昭和6(1931)年、大分市生まれ。東京大では多くの国家プロジェクトを手掛けた丹下健三さんに師事し、38年に磯崎新アトリエを設立。45年の大阪万博では「お祭り広場」などを丹下さんのもとで担当した。

 

故郷で手掛けた初期の代表作、大分県立大分図書館(現アートプラザ)と、群馬県立近代美術館で日本建築学会賞を受賞し注目された。画一的な近代建築を批判し、建築の根源的価値を問い直す「ポストモダン建築」を理論と実践でリード。代表作のつくばセンタービルや水戸芸術館に結実させた。

 

磯崎新さんが設計した群馬県立近代美術館=2019年9月、群馬県高崎市(共同)

 

海外では、西洋の黄金比の美学に東洋の概念を融合させたロサンゼルス現代美術館、バルセロナ五輪屋内競技場(スペイン)などで高く評価された。近年もカタール国立コンベンションセンター、上海シンフォニーホールなど印象的な建築を手掛けた。

 

1992年のバルセロナ五輪や2013年の世界水泳選手権などの会場となった建築家・磯崎新氏設計の「パラウ・サン・ジョルディ」=2013年7月27日、スペイン・バルセロナ(©産経新聞)

 

1996年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展では日本館コミッショナーを務め、阪神大震災の廃虚を再現した展示が金獅子賞を受けた。2019年には「建築界のノーベル賞」と称される米プリツカー賞を受賞した。

 

建築界きっての理論派として都市論や文明論、芸術論などを展開。著書に「空間へ」「建築の解体」「瓦礫(デブリ)の未来」などがある。

 

プリツカー賞を受賞した磯崎氏=2019年

 

 

「焼け跡の直感」を原点に

 

「焼け跡の直感というのかな。いつか起こることがいま、起きつつある。そんな感覚がいつもあります」

 

磯崎新さんは、大分市名誉市民となり故郷で個展を開いた際、建築家人生の原点をこう語っていた。

 

昭和20(1945)年、14歳の夏に見た、焦土と化した都市風景が建築家を志す基盤となった。都市はゼロからどう立ち上がるのか。東大の卒業設計では故郷・大分市の都市計画を描き、実際に地元政財界の依頼で大分県立大分図書館(現アートプラザ)など初期の名作群を生み出した。

 

磯崎新さんが設計した大分市のアートプラザ=2018年12月(共同)

 

廃虚と生成を繰り返す都市のバイオモデルを示した初期の論考「孵化(ふか)過程」が興味深い。「焼け跡でガラスがどろどろ溶けているような混沌が、自然と凝固して都市となり、未来を形作ってゆく。しかしそれを未来と呼んだ途端、都市は崩れ始める。未来はハッピーかどうかわからない」と口にしていた。

 

建築の価値を問い続け、時には強烈な反骨精神をのぞかせた。ポストモダン建築の代表作、つくばセンタービルは国家プロジェクトである筑波研究学園都市の中心施設でありながら、中央の広場をくぼ地にして「中心不在の日本」を逆説的に暗示。師の丹下健三さんに敗れた61年の東京都庁舎設計競技では、要綱にあった超高層案ではなく、あえて低層案を打ち出した。

 

磯崎新さんが設計した「つくばセンタービル」=2022年12月30日、茨城県つくば市(共同)

 

高度経済成長とバブル景気を経て日本の都市は停滞し、大地震など未曾有の災害も経験した。それは磯崎さんの予見-「焼け跡の直感」と重なってみえる。阪神大震災のがれきを持ち込んだベネチア・ビエンナーレ国際建築展の展示も、一つの警鐘だろう。

 

一方、今から半世紀も前に、クラウド化した情報都市や地球環境の危機をふまえた未来都市を提示していた磯崎さん。2000年代以降、急速に開発が進む中東や中国で大きなプロジェクトに関わった。「今は地球スケールで考えないと、人類生存に関わる」と危機感をあらわにしていた。巨視的なビジョンを描くことができる、稀有(けう)な建築家だった。

 

筆者:黒沢綾子(産経新聞)

 

 

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