「台商回流!7千億元」
1月11日に行われる台湾の総統選挙を控え、台湾各地を飛び回る与党・民主進歩党の公認候補、現職の蔡英文総統が演説で、呪文のように繰り返し強調しているフレーズだ。
米中貿易戦争や中国の景気低迷などを理由に、最近、中国での生産拠点を台湾に戻す台湾企業(台商)が急増し、今年発生した台湾への回流投資案件の累計金額は7千億台湾元(約2兆5000億円)に達した。蔡氏はこの数字を政権が経済を活性化させた実績として、大きくアピールしている。
確かに今の台湾の経済は熱い。株式市場は連日上昇し、株価指数は12月17日、29年ぶりに1万2000を突破した。数年前に低迷していた不動産市場も、今年になってから再び上昇に転じはじめた。
台湾誌「今週刊」によれば、各地の工業団地に、中国から戻ってきた企業の入居申し込みが殺到し、キャンセル待ちの状態が続いている。高雄市西部にある楠梓工業団地では、余っている土地がなくなり、団地内にあったテニスコート、女子寮、消防署までも取り壊され、工場に改造されている。
台湾紙の経済担当記者によれば、台湾企業が中国から撤退する理由は主に3つある。米中貿易戦争に伴い関税が引き上げられ、対米輸出が壊滅的な打撃を受けた。中国国内の景気低迷に伴い、財政難に陥った各地方政府が台湾企業への優遇政策を縮小したことに加え、さまざまな名目で税金や寄付金を厳しく取り立てるようになった。それに、賃金高騰によるコスト増も重なったという。
しかし、いったん投資した資金を中国から回収することは容易なことではない。銀行の窓口でたらい回しにされ、さまざまな名目で多額な手数料をとられたあげく、台湾への送金は長期間にわたってできないケースも少なくないという。
台湾企業の経営者たちは、現金をビットコインなどの暗号資産や金塊にして中国から持ち出し、また、地下銀行を利用するなどして資金を台湾に戻しているという。法に抵触しかねないが、「中国の圧政から逃れるためなら仕方ない」と台湾当局はその辺を大目にみているという。
台湾企業が中国から撤退する際に、東南アジアへ移転する選択肢もあったが、台湾当局は、これらの企業を誘致するために、「台湾企業の帰郷を歓迎するプロジェクト」を立ち上げ、さまざまな優遇政策を発表した。土地取得や外国人労働者の雇用規制を緩和し、回流企業への融資の際に0.5%の金利引き下げを適用するほか、初年度と2年目は法人税も軽減する。7千億台湾元の回流は、こうした政策が奏功した現れだ。
ある民進党関係者は「昔なら中国と対峙(たいじ)すると、経済面で大きな打撃を受ける覚悟が必要だったが、今は逆となり、中国に巻き込まれない方がうまくいく」と話す。蔡氏が総統選の世論調査で相手候補を大きくリードしている背景には、中国離れによる好景気も大きな理由の一つとみられる。
経営不振で中国から一日も早く撤退したい日本企業も多くある。蔡政権の経験は日本にとって、参考になるところがたくさんありそうだ。
筆者:矢板明夫(産経新聞外信部次長)
12月25日付産経新聞【矢板明夫の中国点描】を転載しています