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日本学術会議の会員候補6人を菅義偉首相が任命しなかったことを機に、同会議のあり方が問われている。学術会議はその成り立ちから日本とその諸制度を敗戦国の枠組みに閉じ込める「戦後レジーム(体制)の象徴」ともいえる存在であることを押さえておく必要がある。

 

学術会議は日本がまだ連合国軍総司令部(GHQ)の統治下に置かれていた1949年に設立された。戦時中、戦争に協力させられた科学者たちが戦後、日本を「文化国家」として再建するために重要な任務を果たすことを目的とした。

 

 

GHQが「異常な関心」

 

初代会長の亀山直人氏が1953年11月20日に当時の吉田茂首相に送った書簡によると、GHQは学術会議の設立に「異常な関心を示した」という。亀山氏の書簡は、行政改革の一環で学術会議の所管を総理府(当時)から民間団体または他の省へ変更することが論じられていることに異論を唱えるのが目的だった。亀山氏の説明によると、世界の「文明国」では、日本学術会議のような科学技術者の全国的組織は国家機関か半国家機関の性格を備えていた。唯一の例外は米国だったが、GHQは「日本学術会議を国家機関とすることを適当と認めた」という。

 

日本国憲法とともに日本を「非軍事化」させるためにGHQが関心を示したのが学術会議だったわけである。現行憲法はGHQで占領政策を担う若手の民政局員らがごく短期間で草案を書き上げた。日本の非武装化、弱体化をねらう明確な意図が込められていた。GHQが日本を「文化国家」として再建するという「平和志向」の研究者を集めた学術会議に注目したのは当然のことといえる。

 

学術会議はその「使命」を忠実に果たす。1950年と1967年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」との声明を発表した。2017年3月には、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に反対する声明を出した。

 

 

中国とは協力の覚書

 

日本国内の研究の監視には熱心な学術会議だが、2015年には中国科学技術協会との間で「共通の科学的な利益のある分野において協力を行う」との覚書を交わした。10月8日の参院内閣委員会で、この覚書を取り上げた自民党の山谷えり子参院議員は米国において「軍民融合」を進める中国への技術流出への危機感が高まっていることについて、学術会議内で議論が行われているか質した。三ツ林裕巳内閣府副大臣は「日本学術会議におきましては、お尋ねの内容についての議論がなされたことは承知しておりません」と答えた。

 

米中対立が熾烈となるなか、元経産官僚の細川昌彦明星大学教授が産経新聞「日本経済講座」で、米国は軍事転用可能技術だけでなく、「これまで規制されていなかった領域の技術まで規制を拡大しようとしている」との見通しを示したのは昨年11月のことである。

 

中国の脅威に対し、米国などと連携し立ち向かうことが迫られている今、「戦後レジーム」から脱却できない学術会議のような組織を国の機関として存続させる必要はない。

 

筆者:有元隆志(産経新聞正論調査室長兼月刊「正論」発行人)

 

 

国家基本問題研究所(JINF)「今週の直言」第726回(2020年10月12日)を転載しています

 

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