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Ryosuke Takashima greets his supporters after his election in Ashiya, Hyogo Prefecture, on the afternoon of April 23. (© Sankei by Genya Suzuki)

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4月23日に投開票された統一地方選後半戦の兵庫県芦屋市長選で、史上最年少となる26歳2カ月で初当選を果たした高島崚輔(りょうすけ)氏。名門進学校の灘中・高(神戸市東灘区)から米ハーバード大に進んだ俊英だが、ほかに現職の伊藤舞氏(53)や元県議、元市議の3人が立候補するという大混戦の中、まだ社会人としての実績もない高島氏の挑戦は当初、「無謀」と言われた。だが、いざ蓋を開けてみれば伊藤氏に倍近い差をつけての圧勝。その裏に何があったのか、高島氏の人物像とは-。

 

Ryosuke Takashima
当選から一夜明け、市民らに挨拶をする高島崚輔氏=4月24日午前、兵庫県芦屋市のJR芦屋駅前広場(甘利慈撮影)

 

明治維新のように

 

「『若すぎる』『無謀だ』といろんな方から言われた」。選挙の告示前、高島氏は取材にこう答え、政界では「若さ」がネックになることを承知の上で立候補を決意したと話した。

 

選挙戦ではその若さをあえて前面に出した。街頭で演説をする際には、「高島崚輔。26歳です」と名前を名乗った後、必ず「26歳」を付け加えた。これは、高島氏をバックアップした多士済々の顔ぶれのブレーンたちの助言を受け入れてのことだった。

 

その中の一人が、灘高OBの大先輩で、ロート製薬会長の山田邦雄氏。高島氏は「山田会長からは『明治維新のときも若者が活躍して時代を切り開いた。君も存分に暴れて日本を変えてくれ』と激励していただいた。その言葉で力を得た」と振り返る。

 

芦屋市は、国内屈指の高級住宅街を有し、富裕層が多く住んでいることで知られるが、一方では人口減に歯止めがかからず、市政の大きな課題になっている。地元政界通は「多くの芦屋市民はこの優れた若者に未来を託すことを選んだ」と高島氏の勝因を分析する。

 

投票が締め切られた23日午後8時、早々に当選確実の報を聞いた高島氏は「こうなった以上は若さは関係なく結果が全て。ご期待に応えられるよう全力を尽くす」と決意を語った。

 

 

褒められて育った

 

高島氏とはいったいどんな人物なのか。選挙の指南をしたという地元選出の自民党衆院議員、山田賢司外務副大臣は「ただ単にエリートというだけではなく、会って話をしたら、誰もがすぐ好きになる、ファンになる。そんな人間的魅力を備えた若者だ」と評する。

 

平成9年2月、大阪府箕面市生まれ。母(55)によると、幼稚園時代は友達の中に入っていけないような引っ込み思案の子供だったといい、「自信をつけさせるため、とにかく褒めるようにした」という。

 

「友達のお母さんにあいさつできたとき、靴をきちんと並べたときなど、些細(ささい)なことでも褒めました」。小さな成功体験を積み重ねるうちに、ポジティブな子供になり、積極的に自分の意見を述べるように。高島家では定期的に家族会議を開き、母はその「議事録」をつけた。

 

傑作だったのは、2人目の弟が生まれ、名前を考えたときの家族会議。

 

「上の2人が『りょうすけ』『しゅうすけ』で、私は『しょうすけ』という名前にしようかと思ったんですが、当時8歳だった崚輔が、それでは『領収証(りょう・しゅう・しょう)』になってしまうから『じょうすけ』にしたら?と言うんです」

 

最終的に、この意見が採択されたという。

 

当選から一夜明け、街頭に立つ高島崚輔氏=4月24日午前、兵庫県芦屋市のJR芦屋駅前広場(甘利慈撮影)

 

秀才らが頼ったノート

 

灘中高時代は、授業ノートが秀才ぞろいの同級生の間で取り合いになったというエピソードがある。文字や図形がきれいに整理され、教師の雑談まできちんと書き込まれた充実のノートで、高島氏は「ノートの神様」と呼ばれた。

 

部活動ではラグビー部に所属し、スクラムハーフを務める一方、生徒会長も務めた。生徒会が主導する合唱コンクールでは、こんなことがあった。

 

「入退場の仕方をめぐって、先生と意見が合わなかったんです。先生は、時間がないので歌い終わったクラスが退場するのと次に歌うクラスが入場するのを同時に行うようにと。それでは見栄えが悪いので、僕たちは入場と退場をきちんと分けたいと主張しました。前日のリハーサルで先生は怒って帰ってしまいました」(高島氏)

 

結局、生徒会は自分たちのやりたい方法を貫き、しかも時間内に収まり、合唱コンクールは盛況のうちに終わったという。「みんながイベントを楽しむには、自分たちがやりたいようにやるのが一番。そのためには話し合って信頼関係を築く必要があります。そうしないと人は動きません」と高島氏。このころから、リーダーの資質とは何かを考えていたのだ。

 

また、生徒会長時代には芦屋市でイベントをしたり、祭りに参加したりして、地元住民らと交流を深めた。これが縁となって今回、芦屋市長選に立候補することになった。

 

当選が決まり、支援者を前に意気込みを語る高島崚輔氏=4月23日午後、兵庫県芦屋市(鈴木源也撮影)

 

語学の壁に挫折も…

 

3年時に東京大と米ハーバード大に合格。いったん東大に入学して9月に退学し、ハーバード大に進んだ。

 

ハーバードでは「語学の壁」に突き当たり、挫折を味わった。「100ページの宿題を普通に出してくるんですが、当時の僕の英語力ではこなせない。でも、助けてくれるクラスメートがたくさんいて、何とかついていけました」。何でも自分一人でやろうとせず、困ったら助けを求めるのも大事だということを学んだ。

 

同大では環境工学を専攻し、世界各国の再生可能エネルギー導入現場で研究を重ねた。こうして学んだ最先端の取り組みを「芦屋で実現したい」と高島氏。

 

幼いころからの積み重ねの一つ一つが政治家への道につながっているようだ。

 

筆者:古野英明(産経新聞)

 

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